スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

我が一代

          我が一代 
     昭和五十九年十月十一日 立正大学講堂・東京 (一〇〇歳)
 本日は不思議な御縁で、私もここえ参ることができました。私は元の大崎の日蓮宗大学の時の第一期の学生であります。その頃から「大崎學報」とか云う雑誌を編纂して、少しずつ自分達で読んでおった。その私が、立正大学の初めの日蓮宗大学を卒業すると、「後もう少し勉強したい」と願いでましたが、大学院という組織になれば、私一人のために、そんなこともできないから、「どこかよその学校に行って学問して下さい」。それでやむをえず、よその大学の大学院の学生となって勉強いたしました。
そのために、初め浄土宗の大学院、これの中の課目に天台の【法華玄義】等がありました。それはよいけれども、また【往生要集】のなんのという、あちらの法門のもつかねばなりません。そんなことをして、とにかく卒業いたしました。しかし、その次にまた是非に古来、日本に伝わった仏教を習い伝えておきたいという希望から、出家の身として、いろいろ教えてくれる所、真言宗の大学、その他の所に習いに参りました。
さて国家の制度が、御坊様も兵隊に行かねばならぬ。私、それで兵隊に行ってきました。逃れる道がない。陸軍歩兵少尉であります。かくのごとくにして、たくさんの年月が経ちました。禅宗のお寺へも参りました。それから真言のお寺へも参りました。その他、個人の名僧・知識といわれる人も訪ねてまわりました。山の中も何もいといません。ただ笈を負うて書物を持って習ってまわりました。かくのごとくにして学問は、ほぼ習い得るだけ習いましたが、年が三十を過ぎます。
この上は衆生教化に働かなければならぬ。衆生教化をどう踏み出すか。我がことながら、これに毎日悩みました。一足踏み出し損なうと生涯の出家の方針が裏切られてしまう。何とか良い踏み出しをしたいと思いました。
少しものも覚えましたから、学校の先生、それから寺院の住職。寺院の住職は大崎の大学を卒業すると、すぐにその誘惑がかかりました。けれども私、出家の小僧さんの生活をする今の寺院の生活で、法を弘めるなどということはできない。
皆様方は、寺院に生活に入られたかも知れませんが、法を弘めるには、身を自由に位置に置かねばならない。檀家まわり、お葬式、お彼岸、こんな事でまわっておってよいものですか。今までに何を習って来たのか。こう思うて二、三年の間、学校でものを習うのと違って、我が身が人生の第一歩を踏み出すのに迷いまして、决定しきりません。命にかけて、これを決めたい、誤らざる人生の第一歩を踏み出したいと思いました。
まず第一に、近江の国の比良山の頂上に「八淵の滝」というのがあります。大理石の岩を崩して滝がかかります。その水がすぐにあふれて、次に流れますと、流れた水がまた、すぐに淵になります。かくのごとくにして、淵が八つできております。その頃、誰も行く人がなかったのですけど、私、そこで初めて、我が今後の生活のあり方を決めるために、滝壷で一週間御断食をして、生命を捨てる覚悟になりました。この滝の第一番の上の滝。秋彼岸でありましたが、そこに別に広場なんかありません。渦を巻く底しれない深い滝壷と、そのそばに、くだけた石英岩・砂利が少しあります。
一週間、休む時はその砂利のうえに座っておりました。かくのごとくにして死ぬかというと、とうとう滝壷で死にもせず、そんなら決まったかというと、決まりもしない。これは大変だけども、一週間たったから、その滝壷を下りました。そうしてそれからは、あちこちと、そんな滝にかかっては、我が身の運命を定めようとしました。
今はこんなにたくさん着飾っておりますが、その時は木綿のうすい肌着を一枚着て、蠟燭もなければ、電気もありません。真っ暗がりです。その中で滝に入ったり、あがったりっしておりますうちに、下は体温で、上は水がかかって、一枚の肌着に青黴(あおかび)がはえました。決まらないものは仕方がない。そこを下りる時に振り返りますと、そこに高い楼門があります。楼門に金文字で、「文武の両道 内敵を防ぐ」という八字があります。燦然と目に映りました。私一代の中で、内敵ー内輪から我が仏法が崩されましたが、外敵からは崩されません。
皆様も、これから大事をなさる時、「文武の両道」 「内敵」を防いでください。「内敵」の中の最後の問題は、我が五欲の執着であります。日蓮宗門を衰微沈滞させた原因が、ここにあるようであります。
「而も憍恣の心を生じ、放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕ちます。」(法華経如来寿量品第十六)
さて、それから先にまた、あちこちと巡るうちに、ようやく三十二歳の秋がせまりました。三十二歳は御祖師様の立教開宗の時、私は三十三歳にして自分の道を伝えに立つ。かくのごとく考えておりましたが、その時に能勢の妙見様に参りまして滝にかかると、今度は「桃尾の滝」というのがありました。天理教の町の上でありますが、そこに行って、もはやここを先途と決めねばならない。自分でその覚悟で、そこで一週間た滝にかかってお断食をしました。
そこにありました古い時代の小屋に寝泊りしました。そうして最後の日、夜もすがら御題目を唱えて法要を勤めております時、下からトントンと太鼓を撃って山道を上がって来る人がありました。何の変哲もない、一人の道を求める行者といいますか、出家でもない、そんな人であります。
俗人の出家の人が上がって来ますから、私わざわざ道に出てー夜中でありますー「あなたはどなたですか」とお尋ねいたしました。そしたら何の躊躇もなく「上行菩薩」と申します。驚きましたが、上行菩薩の衆生教化の道を学ぶことに致しました。背中に笈摺を背負っております。「笈摺の中に何がありますか」と聞くと「釈迦牟尼世尊を背負っております」そうして私が気が付きました時には、何の遠慮もなく私の前を通り過ぎて、向こうの山の手へ参ります。
そこで私の方針が決まりました。決めねばならない十一月の末であります。
皆様、私は一代その夢のようなことを信じて暮らして来ました。その跡を継ぐことが決まりますと、今まで習った真言も浄土も、その他の八宗の書物、奈良の法隆寺の勧学院で倶舎・唯識論を習いましたが、何もかも皆捨ててしまいました。
上行菩薩の跡を踏むことが決まった。やがてそこから奈良に出まして、奈良の信者の宅でまた、笈摺を作ってもらって、それに毛布の半切りと、コウモリ傘一本、こんな支度でまわりかけました。その時にまず京都の大本山の各御霊場をまわりました。いよいよそれもすみました。
それから上京いたしまして、衆生教化の第一歩を、日本国の東京の二重橋の前で座り込みまして、一週間のお断食をして御修行しておりました。おうすると警察が「お前はいつ帰るか」と。「帰りません。ここで一週間のお断食をして御祈念します」。「それでは一寸相談せにゃならん」。上の方と相談しました。ところがあたかも紀元節という祝日が中にやって来ますから、警視庁から「ここは、大勢の日本の文武の大官が参るのみならず、外国のお客様も参るから、おってはいかん」と追い立てられました。
衆生教化の始めは「数数見擯出」の第一歩であります。それでそのその旗を立てたまま、あの宮城のお堀の外を一週間まわりました。その時、私自らが書いた絵葉書があります。【毒鼓】という書物に残っております。警察官から叱られて、太鼓を叩いて宮城前に立つ姿であります。これが私の出発点。
これがすんで東京の信者のお宅に泊まっておりますと、昔の日蓮宗大学の同窓の人々が皆、先生になっておりましたが、私が大崎っを出て十年間、各宗を習い巡って最後、玄題旗を立てて歩く、変な一人のお千個寺になったことを聞きまして、「藤井君のやり方は、時期を半世紀間違えた」。そういう話です。
私は他に何も希望しませんけれども、私が学問、学問と次々に日本の古来の仏法を習いましたが、皆これを捨ててしまって、玄題旗一本立てて太鼓を撃って出たことに、大崎から一人くらいは「どうしたことか」と言うてくれる人があることを、実は期待しました。それがありません。
その点、大崎の日蓮宗大学につくづく愛想をつかしました。その大学は、寺の住職を育てる学校なんだ。そうして中の生活は、末法の時代とはいえ、一番手足の枷になる家庭生活。これでは、こういう人々は、こういう学校は、もう私の苦労して求めた道を共に行けない職業学校。
そうして田中智学、その他、立正佼成会、元御坊様があんな変な還俗をして、在家のままに行った。それではこの末法に、御祖師様の仏法を弘めるということも、到底不可能であります。
私は、この大崎の学校に愛想をつかし、大崎の同級生に愛想をつかしました。
それで、その後私は一度も大崎に便りをしません。我が母校でありますが、もはや、我が行く道とは違った学校と思いました。
御祖師様の御妙判によると、今や【西天開教】ということが実現せねばならない。その話は大崎にはありません。閻浮提内広宣流布が法華経の中の明文である。今そのことは大崎にはありません。こういう訳で【大崎學報】という雑誌を、その後一冊拝見しますと、御祖師様の御宗旨ではないと考えました。
私の夢みたものは、何も求めもせず、太鼓を撃ってまわることだ。今は西天開教を完成し、閻浮提内広宣流布の大願も、実現しつつあるようであります。
かくのごとく考えて、大崎は母校であり、【大崎學報】は、同窓会の各自の研究と信仰の発表であります。私はこれを我が道と違ったものと考えた。曽て手にいたしません。
私が大崎の卒業生であり、そうして何の障りもない同級生でありながら、あの諸君の【大崎學報】に一編の文章も載せたことがありません。縁が離れると、こんなふうになる。何千人大崎を出たはしりませんが、あの【西天開教】に間に合いましたか。閻浮提内広宣流布に間に合いましたか。
さてこれだけではすみません。もう一つ、古人の詩に「共に末法に生まれて師に会わず」という句があります。末法という時代は、正しい秩序も何も皆、壊して暴力、人殺しさえすれば、それで通る時代であります。
そこに行われる社会の相は醜悪・殺生。殺生も国家をあげてやっております。世界をあげて人殺しの方法を研究しております。これが末法の姿です。さてこれを救う道があるかというと、もう一つ考えねばならない。その道がどこにあるか、今。人は探しております。その時、私は、御祖師様から六百年遅れて、末法の時代に生まれました。
当時の仏教信仰は娑婆を厭い「厭離穢土・欣求浄土」という言葉で現されている。この娑婆世界は、どうにもならない悪い所、早く死んで極楽に行きたい。それには日蓮大聖人様は「そうでない。この国土こそ本土だ。濁っておるのは、人の心の間違いだ。この間違いを正すんだ。」「御釈迦様が、はるか末法に【三大秘宝】を残して、上行菩薩を再誕せしめ、弘められる」とあります。
今やこの法が弘まりつつあります。皆様方の目に見えるでっしょうか。仏教のないヨーロッパ、仏教のないアメリカに、どんどんと、本門の教主釈尊をまつる本尊の宝塔様が現れつつあります。「そんなことが今日、科学兵器の発達した今日、何か宝塔が建てば、それで科学兵器の災いをのがれるか」という疑問がありますけれども、この疑問に答えるものは、もはや理屈ではない。
「時のしからしむるのみ」その時に指導者として仏の使いが出ます。この人が弘めます。ところで、もう少し言いますと「日は東より西へ入る、日本の仏法、月氏へ返るべき瑞相なり」。御祖師様から六百年遅れたお蔭で、私はこの瑞相に先がけしました。
皆様も、今からインドで太鼓を撃てば西天開教となります。それからまた、御寺だけを作れば西天開教になるかのごとく考えると良くありません。
「日本の仏法、月氏へ返」時に、インドは広大な面積、人口をもって独立しました。その時、マハトマ・ガンジーは「日本の仏法の三大秘法をもって、インドの平和国家指導の基点にする」と言って、仏教復興を発願いたしました。
この時が、御祖師様の西天開教の日でありました。私、それに会いまして、その時にインドに参りました。
私は「行かなければいけない」と思いましたが、一人もついて行きません。日蓮宗からも、誰もついて来ません。その時に京都の大本山妙顕寺貫首・河合日辰猊下が、きれいな出家の風格を具えておりました。それでその中で育った三人の青年達が、西天開教について行きまして、一人はワルダのガンディーのおる塾に、一人はビルマの開教に、一人はランカの開教に、各各名声をふるいましたが、日蓮宗門からは、誰も出ないのはさておいて、日本山も、お寺があり、宝塔があり、それから家族があり、ついていけません。ついて行けないことは時をあやまりました。
(ここで主治医より中止の勧告があり、法話が中止されました)


バラ

バラ


スポンサーサイト

陳情書

        陳 情 書    仏教僧衆  藤 井 日 達

        惟時昭和二十一年八月六日
 我教主釈尊拘尸那域に於て入滅度の後およそ一百年にして中天竺摩訶駄国に阿育大王誕生し給う。大王躰軀麁剛にして精神もまたすこぶる猛烈なり。少年の日より戦闘征伐を好み、殺生残害を喜ぶ。国民にしていやしくも制を紊る者あれば、これを捕えて極刑に処し、近親隣里ながら諍を構えて直ちに征服し、その勢力日に強大となり、諸の大小の国王等敢て畏服せざる者無きに至りぬ。
大王これに於て悪心いよいよ熾にして、人民日夜安穏の想を生ずること能わず、遂に憍慢心増上して武威をもって一閻浮提を統一せんと欲する大願を発し、朝夕に兵を精にし、武を練りて寧日無し、たまたまこの時如来の遺弟子に夜叉尊者と称する大阿羅漢あり、阿育大王を教化せんがために独り王宮に詣り、大王を諫めて曰く。
 「仏法に不殺生戒を説く如来の制戒の中に、殺生をもって一切罪悪の中の最も重きものとなす。下は昆虫より中は六畜に及び、上は人類同胞の生命を絶つ者はその罪悪の報酬として死して未来世に地獄の火焔に焦がさるべし。大王しきりに戦闘を起こし、人畜の寿命を奪うことその数量り難し。大王他日命終の日まさに地獄に堕ちさせ給うべし。彼の戦闘によりて得るとろの勝利は、必ず他の国王人民の怨恨を買って刑罰をもって慴伏せしむれば民の不平を募らしむるに過ぎず。すべからく諸の悪法を廃し戦闘を止めて、一切の人民安楽にその生を楽しみ、隣邦平和に交を厚う也させ給わば、大王の将来はなはだ慶福来らん」と。
 阿育大王これを聞いて逆鱗斜ならず、この夜叉尊者を捕えてもっとも惨酷に処刑せんと欲し、試に問いて曰く。
 「汝地獄の火焔を説く、朕未だかつて斯の如き談話を聞かずはなはだ希有となす。朕がためにさらにくわしくこれを説け」と。
 夜叉尊者即ち八大地獄の相貌を説く中に曰く。「大火坑あり臭煙蒙々、火焔乱れ舞うが如し上に一条の鉄線を張る、罪人に重担を負わしめて駈りてこの鉄線を渉らしむ等云々」。
 大王掌を拍して曰く、「善哉これを説けり。朕この地獄を造りて罪人を呵責すべし。しかして汝をしてまずこの大火坑を渉らしめんと欲す」と。夜叉尊者大神通力を現して阿育大王のために説法教化す。
 大王翻然として邪見を転じ、たちまち戦争を廃棄し慈悲心を生じ、殺生を禁断し、飲酒噉肉を止め、大王膳にもなお腥肉を却け、慎んで如来の制戒奉持し、その皇子皇族を仏法の中に出家剃髪せしめ、海を渡ってセイロン、ビルマ等に派遣して、仏法を伝道せしめ、法門の棟梁を選抜して大法官と称し、遠く小アジア、ヨーロッパに仏法の福音を宣伝せしめ、これによって平和の国交を修せしめたり。
阿育大王の仏教復興はその統治下にある全民衆の欣ぶところとなり、一大王国渾然として一体となりてインド民族文化の開発となせり。仏教経典の結集を行い、寺を建て僧を度す、その数挙げて数うべからず。特に釈迦牟尼仏の遺蹟四大霊場を始めとして、各地に自ら巡礼し、石の宝塔を建てて、如来の功徳を宣揚せり。その建つるところの石塔八万四千の数に達すると伝えたり。漢土、日本にも阿育大塔と称する者二三あり。その真偽は不明なれども大王の功徳を推するの一端として、また見るべきものあり。
 爾来星霜移ること約二千八百、あるいは二千四百を経て、荒廃せる物鮮からずといえども、今日なおインド各地に阿育大塔と称する物厳然として存在し、阿育王文字の彫刻鮮明に残れる物若干あり。インドの仏蹟巡礼の客として、石塔の下底廻転た禁ぜず。往古を徜わしむる唯一の記念となれり。
 阿育王の仏教文明は、インド民族五千年の歴史上空前絶後と称せらるる発達を遂げたり。阿育大王の功績は仏教の流通とともに、日に新たに宣伝せられ、万国歴史上もっとも多くの人によりて、敬仰親愛せらるること、如何なる時代の如何なる帝王英雄よりも勝れさせ給うべし。
 善悪は本と二物に非らず。人の一念心の左右のみ、人の一念がもし善の指導を被らばその人善人にして、善行をなすに至るべし。世に悪業を造作する者あれども、これを訓うるに善をもってすれば、また善人となすことを得べし。邪正はまた一体の表裏のみ。表相の邪見も裏面の正見を離れず、正見一度表面に出れば、その人また邪見を発せず。阿育大王は正しくこの現証の人なるべし。
 日本国人王第一代を神武天皇と号す。天皇生まれながらにして明達意かたく強くまします。御年四十五歳に及びて諸兄及び御子等を集めて曰く、東に美しき国あり、青山四方に囲れり、彼の地は必当に天業を恢め弘べて天の下にみちたる足りぬべし、何ぞ就きて都作らざらむと天皇みずから諸皇子舟師を帥いて東を征ちたもう。しかして六年にして大和国畝傍山の東南橿原の地に皇都をひらき帝宅を経め初め給う。その時に令を下して曰く、
「六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩うて宇と為むこと亦可からずや」
 この意は帝都を開いて全国の文華を嵩むべし、帝都は単に帝王の帝都たるのみに止まらず、すべからく全国内の帝都たらしむべし、帝宅は天皇の邸宅たるのみに非ず、億兆臣民の邸宅たらしむべし。今時運屯蒙につらない、民心素朴なり。あるいは巣に棲み、あるいは穴に住むをもって平常一般の習慣風俗をなせり。まさに山林を披き払いて宮至を経営し、人民の生活状態を改善せんがために率先して規準を示すべしとなり。故にまた曰く「夫大人の制を立つ義必ず時に隨う。いやしくも民に利あらば何の聖の造作に妨わん」と。まさに知るべし皇都をひらき大壮を作らせ給うの意は素朴に順れたる民心を導きて人民生活を有利にし、豊富にし、快楽ならしめんがためなり。これを民に利有りという。
 皇都成り帝室成りて翌年春正月橿原宮に帝位につき給う。この歳を天皇元年と為す。これより二千六百年を迎え、神武天皇発祥の地宮崎なる古代の帝都付近の地を相し一大記念塔建つ、題して「八紘の基柱」と称す。時運偶々日本の戦時下にあり、日本国内に於ては教育宗教あわせながら軍事に動員せられ、農工商業みな軍事に利用せられざるは無し、八紘基柱もまた軍事に利用せられて日本の戦争的発展の表徴とせらる。これ神武天皇の詔勅を誤る大なる者なり。
 誠にみよ神武天皇の皇都経営より二千六百年内には国民と皇室との戦争殆んど有ること無し。近隣諸国との兵を交うるが如きことは僅かに一両度に過ぎず、万国史上比類なき平和国家の基柱と肇められたること実に神武天皇肇国の詔勅に渕源する所以なり。しかるに明治維新已来隣邦と兵火を相見ること指を屈する遑あらず、けだし皇祖国を肇むるのに心背ける所以か。戦争後幸いにして八紘基柱の意義を訂正してこの軍事的色彩を剥脱せしめ、これを神武天皇詔勅本然の平和の象徴として将来民心の転換を計らんと欲する情切なり。
 神武天皇よりおよそ一千三百年にして推古天皇帝位につき給う。日本の天皇として最初の女帝なり。もっとも深く平和を愛し給う。天皇即位十二年十七条憲法を作って天下式目たらしめ給う。その第一条に曰く、
 「一に曰く、和を以て貴しと為し忤うこと無き宗と為す。人皆党有り亦達者少し、是を以て或は君父に順わずしてまた隣里に違えり。然れども上和き下睦いて事を論うるに諧いぬる時は則事理自ら通う何事か成らざらん」と。
 日本の皇室に於て、一千三百年已前に制定せられたる十七ヶ条の憲法のその第一条は実に和を貴み忤うこと無きを宗と為すと宣べり、この憲法出でてのち奈良朝平安朝に亘るおよそ四百年間は一人の死刑囚を出さざりし太平の御代にして、日本文化最高峰を称せらるる歌集歴史物語等世に現れたり。この間近隣諸国との往来交通は盛んなりしかども相互に相侵することなかりき。憲法第二条は平和建設の指導機関として仏教興隆の詔勅を徹底せしめんがために、
 「篤く三宝を敬うべし、三宝とは仏法僧なり。則四生の終帰万国の極宗なり、何の世何の人が是法を貴ばざる。人尤だ悪しきもの鮮し能く教うるをもて従いぬ、其三宝に帰りまつらずば何を以てか枉れるを直さむ」と宣べり。
 一国の平和は但だ法令の制定のみにしては到底実現さるるものに非ず、すべからく一国人民の心中に平和の気分育成の方法を講ぜざるべからず。これ即ち宗教的工作の重要なる所以なり。推古天皇は即位早々に「興隆三宝」の詔勅を発し、日本国に於て一千三百年来未曾有の新宗教採用に国論を定め給えり。果せるかな十七条憲法の平和の国定は「興隆三宝」の詔勅と相表裏して日本国二千六百年間に画期的太平安穏の歴史を作れり。
 しかるに中古武家政治の台頭するや平和の憲法は破棄せられて暴力はこれに代わり、仏教の興隆は廃止せられて刀槍甲冑に熟練し、戦国時代を経て遂に封建制度となり、日本国の上下を挙げて武士の支配下に置かるるに至れり。この間武士道学と称する一種諂曲の邪見を論説し、武士を礼賛し武家政治を強化せり。
 明治維新の革新はこの封建制度の武家政治の廃棄するに成功したけれども、武士道学は隠然として漸く日本の軍部を煽動して、遂に国を挙げて戦争に狂奔せしむるに至れり。明治維新の革新に於て皇室と仏教とを隔離し、政治軍隊教育の各種機関より完全に仏教を駆逐し、かえって武士道をもって国民の精神教育にあてんとせしこと曠古の失政なり。
 現下日本の国民は心に平和の仏教を失いて呆然として自ら嚮うところを識らざるが如し。人の心は善に赴かざれば則ち悪に動く、斯の如くして推移すること若干年ならんに国運の前途甚だ暗澹たるものあり。今にして終戦の詔勅を奉行せしむべき精神的宗教工作を施さずんば、まさに収拾すべからざる人心の荒廃を来し延て社会の禍乱を生じなん。故に神武天皇皇都経営の詔勅の本旨を再検討し、推古天皇の平和尊崇の十七条憲法に格準せしめ、今上天皇終戦の詔勅を貫徹せしめんがために、仏教僧衆日達深く釈迦牟尼仏陀の経文を探りて、彼の「八紘の基柱」をしてその意義を転じて仏舎利塔と為し、如来法身平和の教法を尊敬して、内にしてはこれをもって日本国絶対平和の国是額立の標示と為し、外にしては彼の万国の人をして礼拝偈仰の対象と為さんと願ず。
 妙法蓮華経序品第一に曰く
「文殊師利 又菩薩の 仏滅度の後 舎利を供養する有り 又仏子の諸の塔廟を造ること 無数恒沙にして国界を厳飾し 宝塔高妙にして五千由旬 縦広正等にして二千由旬 一々の塔廟に各千の幢幡あり 珠を以て交露せる幔有て 宝鈴和鳴せり 諸の天竜神 人及び非人 香華妓楽を常に以て供養せるを見る 文殊師利 諸の仏子等 舎利を供せんがために 塔廟の厳飾して 国界自然に殊特妙好なること 天の樹王のその華開敷せるが如し」

 謹んで経文と案ずるに、如来滅度の後仏舎利を供養せんがために無数恒沙の塔廟を造り、香華妓楽をもって常に供養すべしと、即ち宝塔の建立は衆生世間には質直にして意柔軟に香華妓楽を娯しむ優美の生活を与え、国土世間には国界を厳飾して平和の気分を養い、春夏秋冬を凋落することなき天の樹王のその華地上に開敷せしめたるが如しとなり。昔聖徳太子十七条憲法の首項に平和無忤の国是を提唱し給うや、これと表裏して仏舎利塔建立のため遠く三韓より職工博士を招き工事に当たらしめ給えり。この外法華経の中に塔廟を起てて舎利を供養するの功徳を説き給えること、その文繁多なり今総てこれを省略す。
 灘速の四天王寺、大和の法隆寺の五重塔の如きは即ちその遺蹟なり。これらの仏舎利塔は一千三百年間代は幾変遷すれどもその間不断に日本民族を教えて質直にして意柔順ならしめ、日本国土荘りて平和の風景を添えしこと、その数挙げていうべからず。また今日本は平和の国家として更新せんとするに望み、仏舎利塔の建立は必須の要求なるべし。仏舎利塔建立に先立って従前各種の意義に由て建立されたる塔廟を開顕して仏舎利塔に転変せしむれば、これ則ち祖先の功労を将来の平和建設の礎石として有効ならしむことを得べきなり。
 去る昭和五年の頃よりインド各地に遊び、昭和十三年支那事変の平和的解決の方を心中に秘して日本に帰り、戦争最中の支那各地、満州北支中支南支に巡錫して仏舎利塔建立の議を提唱せり。これに応じて満州新京には張国務総理を会長とせる仏舎利塔奉讃会起り宝塔建立に着手す。続いて昭和十九年南京市紫金山麓革命烈士記念塔の頂上に仏舎利を奉安す。当時の楮民禰外交部長がこの発起人なり。その翌年昭和二十年春四月二十八日北支政務委員長王揖唐居士の発願に由て北京西郊外に聳てる乾隆皇帝の勅建に係る玉泉山の七層樓の頂上にもまた仏舎利奉安の式を挙げたり。内蒙の王爺廟成吉汗廟にも同年五月また仏舎利を奉安せり。
 この外香港、台湾、広東、上海、漢口等に已に仏舎利奉安の式を挙げたるもあり、まさに挙げんとして終戦に会えるもあり。これを要するに、東亜の平和は仏舎利塔建立荘厳の一事に由て恩讐の苦海を越えて親善の彼岸に到達することと得べき旨、多年兵火戦塵の間に於て彼我の民族を通じて漸く証明されんとす。
今「八紘の基柱」をして転じて仏舎利塔を為すことを得ば啻にこれを建立せし懸下人民の苦労を空しく水泡に帰することを免れしむるのみならず、日本国民に平和第一の方針を示し、近隣仏教国民族をして日本に仏教復興の機会到来せるを喜ばしむべく、後代永らく大平の基礎を祝福して香華妓楽をもって塔を供養すべし。誰の有智のものかこの仏事を隨喜し奉讃せざらん。
 過去を省み将来を慮って現下国運の一大転機に際し平和の基礎を額立せんがために陳情することを件の如し。

<編集部注>

 この陳情書は宮崎市内に建つ「八紘の基柱」を開迹して仏舎利にすべくG.H.Q.その他行政機関に提出したものです。この運動は実現しませんでしたが、戦争中威張っていた神道論者が青葉に塩の如く竦んでいる時に、敢えて「八紘一宇」の真の意味を仏教徒の立場から説かれている、誠に小気味よい小文です。短い文章ですが大思想を揚げられる藤井尊師の見識の高きをしる材料となりましょう。尚、この基柱の設計者である日名子実三先生は日本山の信者であって、終戦前の四月に世を去られましたが、生前にこの八紘の基柱に仏舎利を奉安することを尊師猊下に願望されていました。そのことは遂に実現しませんでしたが、八紘の基柱は「平和の塔」と名を変えて今日も宮崎市の名所となっています。日本山の仏舎利塔建立誓願は戦争中からのものですが、これの実現は昭和二十九年四月の熊本市花岡山をもって最初の仏事となりました。


サボテンの花

サボテンの花






聖書の神

       【聖書の神】  昭和四十九年(一九七四年)
 
 此の所北米合衆国の首都、華盛頓(ワシントン)の日本の仏法の道場を開設する所以は、アメリカの国家権力が実行しつつある戦争政策、就中アジア侵略戦争政策とアメリカ国民の信奉せるキリスト教に就いて聊か疑問を提起して、人類の希望する天下泰平・国土安穏の建設に貢献せんが為である。
 
 旧約聖書 創世記 第一章に曰く
「一、はじめに神は天と地とを創造された。
 二七、神は自分の形に人を創造された。則、神の形に創造し、男と女とに創          造された。」
創世記 第二章に曰く
「一、こうして天と地と万象とが完成した。
 七、主なる神は土の塵で人を造り、命の息を其の鼻に吹き入れられた。
 それで人は生きた者となった。」
 創世記 第三章に曰く
「一九、あなたは顔に汗してパンを食べ、遂に土に帰る。あなたは土から取れたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る。」

 苟も聖書を信ずる者としては、主なる神の此の如き人類創造の説を信受するであろう。是に由って其の信ずる人の人生観が成り立つが故に、等閑に付す可からざる問題である。
 神は自分の形にに似せて土の塵を取って人を造り命の息を其の鼻から吹きこんだので人は生きた者となったと云うことは、凡そ人類は一種の土で造られた生命有る動物であると云うことになる。それだから、生きんが為に労働して食物を作って食べねばならぬ。食物を食べた後は但だ死人で本の土の塵に還元されてしまへばそれでおしまいになってしまう。
死んだ後の未来世の問題には全然関係が無い。是の如き人生観は現代の唯物論者の説く所と何の相違も無い。
聊かも人類の人類たる所以は土の塵で造られたからでも無く、呼吸をするからでも無く、労働して食物を造って食べるからでも無く、死んで土に還るからでも無い。人類は精神的存在として死後未来世の生命を考える為に其の特徴が有る。それを考えるものが則宗教である。主なる神の創造は但形而下の物に局て形而上の者を創造して居ない。人類創造の初めに何故に神の心を人類に吹き込まなかったのか、是が主なる神の重大なる人類創造の手落ちである。此の創造の手落ちに由って人生観が永久に低下し堕落して往かねばならぬ。
更に人類創造に関して主なる神の重大なる過失は、残酷なる女人創造の乱暴である。

 創世記 第二章に曰く
「二一、そこで主たる神は人を深く眠らせ、眠った時に、其のあばら骨の一つを取って其の所を肉でふさがれた。
 二二、主たる神は人から取ってあばら骨で一人の女を造り、人の所へ連れて来られた。」

 是の如き女人創造のは現代医学上、行われつつある生体解剖手術である。人体に全身麻酔を施して、苦痛を感ぜ無いようにして、生きている人類の身体を妄りに切開し、其のあばら骨をえぐり取ったと云うことが、聖書を信ずる者として、人類社会に冷淡に血の歴史を綴らしめたる根源であろう。
欧羅巴諸国が不断に国際戦争を行い、欧羅巴に発生した近代国家が軍備戦争の大集団となったのも、其の根本は神の助骨刳取(えんしゅ)にあると想われる。
凡そ人類社会に於いて殺人戦争を行う者は男子であり、平和を願う者は多く女人である。平和の使節として女人を造るには、須く花を取って女人を造るべきであった。

 旧約聖書 創世記 第六章に曰く
「五、主は人の悪が地にはびこり、総て其の心に思いはかる事がいつも悪い事計りであるのを見られた。
 六、主は地の上に人を造ったのを悔いて心を痛め、七、
 七、『私が創造した人を地のおもてから拭い去ろう。人も獣も這う者も、空の鳥までも、私は是を造った事を悔いる』と云われた。」

 地上の一切の生命有る動物を一時に地の上から拭い去って全滅せしむるとは、まことに恐ろしき神の呪いであり、恐ろしき神の仕業である。
人に病が有るから薬が有るが如く、人に悪事が行われるから教化があり、人に苦悩が有るから救済が有る。人の悪が地上にはびこるのを見て、全滅を計画する已然に、なぜに神は教化を為さなかったか。人の悪が地上にはびこるのは何時迄待っても止むことはない。
これが人類社会の現実である。それ故に全滅を企てるならば人類は永遠に神の呪いの中にあらねばならぬ。神なるが故に一切衆生を総て生命有る者を殺害し、全滅せしめても、それは犯罪とはならないのか。神の殺害全滅が犯罪とならないならば人類が殺害全滅がを行っても又、犯罪とはならないだろう。此人類全滅の神の呪いは今日キリスト教国を称する北米合衆国に由って完全に継承された。
第二次世界大戦の終末期に日本の広島と長崎とに原子爆弾を投下したのは、則其の第一段階である。爾来アメリカは原子爆弾を偽って平和の守護神と称し、国力を挙げて原爆水爆核兵器の開発蓄積に努力しておる。それはやがて人類全滅の道具となる。又、ベトナム帰還兵の証言の中に、アメリカの絶滅戦が証言された。
「我々は厖大な量の通常兵器・数十万の軍隊・ストレンジラブ博士の新兵器をつぎ込みました。我々は何の武器も持たない国に対して空軍を使い、海軍を使いました。それでもまだ満足しないで戦争はまだ続いており、ベトナム人はまだ戦い続けています。それは絶滅戦と呼ばれます。
総ての戦争は絶滅戦です。ベトナムのような農業社会では絶滅戦と云う場合、但一つの事を意味します。抵抗の手段の破壊、則人々を抹殺する事です。我が国は我が国が彼の国に押し付けようとしているのに、ベトナム人が抵抗するのをやめせるにはどれほどの数のベトナム人を殺す必要があるかに就いては、極めて系統的に目標をさだめました。私の考えでは是は政策です。」

 旧約聖書 創世記 第六章に曰く
「十一、時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。
 十二、神が地をみられるとそれは乱れていた。総ての人が地の上で其の道を乱したからである。」

 「暴虐が地に満ちた。」とは北米合衆国の現在の社会状態である。
然らば神の呪いを被って崩壊し全滅すべき運命はアメリカに巡り来つつある。今しばらくアメリカの代表としてニューヨークに就いて一九六八年の犯罪を挙げて見よう。強盗が五万四千四百五件、一日平均一五〇件、東京の百五十七倍、ニューヨークで其の携帯品を盗まれないように注意するよりも、盗まれたならば、又買えばよいと考える方が一種の生活の知恵であると云はれる。
殺人が九〇四件、毎日平均二人が殺されつつある。殺人も爆発も大抵警察は呼ばない。秘密に殺されて蒸発し殺人罪として報告されない例は多いから、実際の殺人罪の件数は更に多い。戦争中のベトナムと、平時のニューヨークと比較して何れが危険であるか分からない。
人が殺された時、犯人の中に警察が混じっているのが常識であり、殺された者は殺されっ放し、殺した者は殺しっ放し、是が全く普通の出来事である。
強姦事件は一八四〇件にして、毎日平均五人の女性が暴行されている。東京の六倍に当たる。日本国に於いても終戦後、進駐軍兵士に関して日本の女性が暴行される件が書物になっておる。
乞食の数は、戦争に由る避難民の溢れるサイゴン市中よりもニューヨークの方が余計に目に付く。
犯罪件数の多いことはニューヨークが、そしてアメリカが世界第一である。
アメリカ史は最初から現在に至る迄の重要のテーマは西部開拓史に見られるような無法と絶えざる暴力である。此のテーマはアメリカが地球上で重要な位置をしめる国となっても変わるものでは無く、寧ろ以前にもまして重要なテーマとなっている。
現在のアメリカは人類史上未曾有の最大の暴力を海外で振るった事実の為に、精神的にも道徳的にも倫理的にも経済的にも破綻を示し、東南アジアの侵略がアメリカの崩壊をもたらす凶兆となりつつある。

旧約聖書 創世記 第六章に曰く
「一三、そこで神はノアに云われた『私は総ての人を絶やそうと決心した。彼等は地を暴虐で満たしたから、私は彼等を地と倶に亡ぼそう。』」

 ノアの洪水を起こした神は正に審判の神にして救済の神では無い。大洪水に由って突然溺死した一切の動物、就中人類等は何処で救済されるのか。神の仕事は、悪を見て審判して溺死させるのが究極の仕事であるか。凡そ宗教は未来世の救済を約束するものである。生命の永遠性を信ずる時、もし未来世の救済が約束されないならば宗教的には失格の神である。
悪事を為す者を見て之を亡ぼす事は、悪魔の仕事と其の殺生全滅に於いて区別は無い。審判の神は、暴虐に満ちたる現代を滅ぼす神にして断じて現代を救う神では無い。
現代を救う神は悪を転じて善となす善悪不二の妙理を活用する神で無ければならぬ。暴力殺生を禁じて非暴力不殺生の一戒を持つ神でなければならぬ。
或いは人は私を目して神を瀆す者と云うかもしれぬ。
然し私は聖書の神を指して人を瀆す者と云ふ。

(ワシントンDC)


台北 花市

台北 花市








平和憲法を守る道

----- 平和憲法を守る道 -----昭和四十一年五月三日 於 九段道場

教主釈尊が此の国を安穏に衆生の生活を喜びと楽しみとに充たしめんがためにとて制定遊ばれし不殺生戒を、今こそ人類は挙て信じ受け持たねばならない時代が到来したというわけであります。
 いかなる理由にも拘泥せず、いかなる利害にも関係なく、ただ「人を殺さない」という宗教的信念のみが人類全滅を救う唯一の道であります。
  理想的な日本国憲法
五月三日、今日は憲法の発布されました記念日に当ります。
 この憲法は世界の現在の状態の中では、発布後のことはともかくも、最も理想的な平和をうたった憲法であります。
 現在、人類の恐れや、悲しい運命はみな戦争がもたらしております。
 それで、戦争をやめ、戦争権を放棄するという、こういう条項がこの憲法に定めてあります。これは実に世界のどこの国にも無い平和の憲法であります。これが現実の日本国において守られております。

 軍隊が戦争をするようになる。

日本国民がこの戦争をやめることに反対するわけでもなければ、それかといって、高い軍事費用を負担することを喜ぶわけもありません。ところが政治というもののからくりで、国民は税金をとにかく収めますと収めた税金は、政府の軍隊を作る方面に役立てております。現在の自衛隊がそうであります。
 この軍隊というものがあれば戦争をする道具でありますから、どうしても戦争をしないでおれません。軍隊が強ければ強いで戦争はしたくなれます。

 アメリカが今どこの国においても、アフリカ・アジア・ラテンアメリカの各地に戦争を起しておりますが、これはアメリカが陰になり表になり、金と武器とをやれば戦争は出来るものと考えてやっております。日本にもこの金と武器とを援助して、自衛隊というものを作らせました。

 軍隊は平和憲法の上からは作ってはならない

 陸海空軍はすべて持たないという憲法の建前でありましたけれども、それが、日本国の治安を自力で維持する上には差しつかえないという解釈をしまして、それで自衛隊をつくりました。
 作ってしまいますと、今度は今沖縄がアメリカのベトナム戦争の軍事基地になっておりますが、沖縄からアメリカはベトナムに兵隊を送ったり、弾薬を送ったりしております。その沖縄に日本の自衛隊を送るということを今の総理大臣は言い出しました。これはまことに危ないことであります。
 これでは規則を作っても憲法を作ってもこれを守らねば、何にもならない空文であります。

 印度の現状を見るに

 近来印度が第二次世界大戦の終わりに独立しましたが、独立する時に戦争をせずに独立いたしました。
 ガンディー翁は、印度が戦争をせずに独立しましたから、軍隊というものは、国家を治め、それから外国との交渉をする上には必要でないと、こういう意見を持って印度の国の将来を計画いたしましたが、ガンディー翁の亡くなりました後は思うようにいきません。軍隊が日日に増えるばかりでなく、次第とやはり近代的な装備をするようになりました。
 印度は独立早々でありますために、軍備に費用が食われると国民は非常に生活が困窮に陥りまして、あの広い場所で、豊かな土地と天気に恵まれておりますが、それでいて食べるお米が無くて、飢えて死ぬというような事態が起こり、それが一人や二人でなく、何十万という沢山の者が飢えて死ぬというようなことになりました。
 戦争は勝ちもせねば、負けたかも知れません。勝ってもたいしたところまで行きません。何の得るところもなくて国民はそのお蔭で飢えて死なねばならなくなります。
 こんなことで印度もガンディー翁の信ずるように、印度こそ世界人類の悲劇を救う国だと自ら言って、高い理想と信仰を持って指導いたしましたけれども、なかなかそうはいきません。

 日本の現状を見るに

 日本が戦後この平和憲法を作りまして、軍人というものは絶対にないはずでありましたが、いまや又軍人は、昔の軍隊よりも多くなりました。
 核兵器もやがて日本で製造するというようなことを言い出しております。
 武力によって国を守るという、この考えがあれば、どうしても世界各国皆それぞれに国民を守るために軍備を競います。競えば結局は戦争になります。
 このようなことで、日本も正に軍備によって再び戦争をしかねない姿になりました。それで平和の憲法が邪魔になりますから、憲法を改めようとしています。
 戦争をするように憲法を変えて行こうとしております。
 憲法を変えなくても、すでにもうここまで軍備を進めて来ましたが、さて戦争に踏み切るとなると、ちょっとやっぱり故障がありますから、それで憲法を変えて行こうとしております。

 戦争の被害者は誰か

 近代の戦争が沢山の人を殺します。戦争をしている軍人をことに殺すのでなく、戦いに関係のない一般の女・子供を殺すことが多くなりました。
 朝鮮戦争はごく最近の戦争でありますが、殺されたものの八割までは、何の罪もない女・子供であります。
 広島・長崎の悲劇を見ましても軍人が死んだのではなく、多くはみんな町の人が死んでおります。これからの戦争はすべて広島・長崎のような姿になってしまします。戦争をすればそうなります。それで、戦争をせないことが本当に国を守り、国を守る。財産を守る。国土を守る道であります。
 けれどもこれがどうも、よその国を疑い、よその国を恐れると、平和でじっとしておれません。
 やっぱりよその国から攻めて来たらどうするかと、そんな仮定を考え出しまして、それに対抗する準備を次々として行きます。

 トルストイの平和論

 近代、平和ということを言い出しましたのは、ソヴィエットのトルストイであります。
 私の子供の折りにこの人はまだ生きており、やがて亡くなりましたが、子供の折この人の書いたものが時々日本に翻訳されて来ておりましたので見ますと、やはり何とかして世界平和を作らねばいかないといって、この人たちが主唱して平和会議というものを世界的に開会しました。
 それでどこの国でもいろいろな関係があって軍備を全く捨てることは出来ないだろうといいます。これは現実みんな出来ない。
 それで出来ないとなれば軍備競争になって、生半可な軍備ではいけないので、やはりその国が攻めてきたならば、これに勝つだけの軍備を持たねばならんということになって、軍備競争になります。
 それでこの軍備はやむを得ないという中において、どこの国か敢然と軍備を廃止して、絶対戦争をせないという事を決議する国があったならば、それは世界人類への大きな恵み、恩恵だということを申しております。
 この戦争を放棄する、そういう国があれば、人類は今それを見習うことが出来ます。
 戦争を放棄するという国がこの世界に出現することを人類はまりこがれております。
でなければ人類は滅びてしまいます。私らは滅ぼされてしまいます。
 それでこれを印度が失敗し、日本国も全然軍備は持たない。戦争はしないという憲法までは作りましたけれども、やはり成り立ちません。

 日本国の使命を自覚して

 このようにまごまごしていると、そのうち人類の運命が愈々一挙に決定するという時が来ます。
 それは誰も人を滅ぼそうとすれば、今日自分も滅びねばなりません。この道理ははっきりしております。
 それ故に人類はうっかり戦争は出来ない。そのうちに小さな個人の意見でなくして、国家という一つの形態を持った平和が、全然武装を放棄して、軍備を持たない、そうして戦争はどんなことがあってもしない。
 それで国際的な問題の行きがかり上の紛争が起れば、それは根強く、根気よく話し合いで道理を立てて話し合おうという、こういう国が出来なければなりません。
 その国に日本は失敗してしまったとはいっておれません。やはり日本はそういう国として、世界平和の指導国となって立たねばならない運命にあるようであります。


 日本の優れた生活様式

 このことで一つ良いことは、日本国民の大部分が仏教の信者ではないけれども、仏教の古い伝統を持っており、お仏壇の無い家はほとんどないといってもよいのであります。これは先祖から伝わりましたまことによい生活様式であります。
 そのお仏壇、各家のお仏壇が又お寺というものに統一されて行きます。
 寺の信者とか檀家とか、これが日本国は宗教はいろいろありますが、仏教においてほとんど異議なく統一されております。
 この仏教の精神が現代本当にいかされるという時になりますれば、日本国程みんなの力を結束せしめて平和に立たしめ得る国は、他に無いようであります。

 ガンディー翁を倒したヒンズーの教え

 印度にしても、ガンディー翁が印度の中から非暴力というものを見い出して参りましたけれども、ヒンズー教の中にはやはり正しくないところがありますから、ガンディー翁を倒しました者もヒンズー教徒でありました。
仏教では極楽に行くとか、座禅をするという無理はありましても、仏教の教えに全然反対して行くことを喜ぶ宗派はありませんから、ここに仏教の本当の精神が現われますと、日本は世界平和の現代の要求を満たす国と思います。
 平和憲法を何によって支えるか

 日本は平和憲法を作りましても信念がない。これが宗教的な信念によって支えられておらなければ、三百代言が屁理屈をつけるように、やはりその場で憲法の条文を壊してかかります。壊さなくても平気でこれをくぐり抜けるようにします。くぐり抜け得ないときには大袈裟にこれを改めて行くというような手段をとります。皆これは平和憲法の有り難いことを信じないからこうなります。

 聖徳太子の平和の憲法

 平和憲法を世界で始めて作りましたのは日本であります。
 聖徳太子が支那、今の中国から、法律制度を学ばれましたけれども、しかし聖徳太子は毅然として、憲法は僅か十七条の簡単なものでありましたけれども、「和を以て貴しと為す。」平和を第一条にうたい上げられております。世界のどこの国の憲法にもないことでありましょう。
 聖徳太子の作りました憲法の第一条は「平和というものを作らねばならない。争いということをしてはいけない」ということであります。
 けれどもそういう国家の大方針を作り上げるという上にはどのように導けばよいのかというので、第二条にこれをうけられまして「篤く三宝敬う」、三宝といえば当時はじめて日本に入った宗教でありますが、「仏法僧これなり」これを敬わねばいかない。
 この仏法僧を敬うことが平和をつくるという上に大切な教えであるから、およそ人類は万国どこへ行っても生きて行く者はこれに従って行くものであり、この教えは古今変らぬ教えだから、これを信じて行かねばならない。
 「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧これなり」ここへ又私らは立ち帰らねばならない。
 日本の国柄はこれで治まって来ます。
 聖徳太子の作られた憲法は、今日まで武家がせいじをとってもほとんど、これを改める憲法は出来ておりません。何とか、かんとか政権を保つために、いろいろ形は変えますけれども、この聖徳太子の憲法を変えたり非難することは出来なかったのであります。

 平和の国民性が平和憲法を守る

 それは日本の国民がやはりこうした憲法を守り得るような、平和な民族であったからこそ、この憲法が出来て、これが守られたのであります。
 私らはここに立ち帰り、現在の憲法も現代的の守りましょうが、遠く聖徳太子の昔に帰り、
 平和よりほか国家の目的は無い、人類の目的は無い。
 争いをしないことより他平和を作る道は無い。
 争いの道具、平和の邪魔になるものは、こりは皆捨てねばならない。
 こういうことから私らの信念は、平和を保って行くところの憲法を守って行きます。
 これが宗教的信念になり、それで私らが、この娑婆世界をお浄土に変えて、死んでから三悪道に堕ちないように、永遠の生命の上に動かぬ信仰を持たねばならない。これより他に良い道はない。

 仏教の教えに従って

 人類の生きて行く道のみならず、一切の生きていく道は、平和に暮らすこと。これだけを仏法によって習い極めまして、仏教の教えによって習い極めて、現在の憲法を宗的な信念によって保たねばなりません。
南無妙法蓮華経と唱えてこの憲法を守ります。                 合掌


台北 花市


台北 花市

                                      

続きを読む

桃尾の滝の霊夢

   【桃尾の滝の霊夢】
 
 私が日本山を開いたことになりますが、非常に苦労しました。勉強をして仏法の事を習えば、何か解るかと思いましたけども、少し覚えることもありますが、我が一生の方針として間に合うものはありません。
三十三歳で立たねばなりませんけど、その以前に、出家として、御祖師様のお弟子として生きて行く方針が立ちませんので、初めて、あちらこちらで滝に打たれたり、御断食をしたり、山に登ったり、さまざまなことをしました。
大和の国の天理教の上の方に、桃尾の滝という、昔、奈良の高僧が道場を建てた滝壷があります。秋の暮でありましたが、さっそく三十三歳を迎えねばならん時、御断食をしてその滝にかかり、一心に御祈念いたしました。
そこで初めて不思議な霊夢を感じました。変なことのように聞こえますけれども、夢で上行菩薩に会いました。
上行菩薩が、背中に子供を背負って私の所に歩いて来ます。それで私が「あなたはどなたですか」と尋ねました。「上行菩薩です」。「背中の子供は誰ですか」と言う。「お釈迦様です」。御釈迦様を背負って団扇太鼓を撃って歩いております。それっきりであります。私、真剣にこの夢を霊夢として受け取りました。
断食明けに、奈良のご信者が迎に来てくれ、伴われてその家に行って、さっそく「私の決心がつきました。これから歩きまわります」。笈摺(おいずる)と申して、桐で長方形の箱を作りまして、それに御妙判とか、少し着替えも入れました。宿のない時、晩にどこかで休まねばなりません。一枚の毛布を半分に切りまして、笈摺の上に乗せました。こうもり傘一本、脇に立てるようにしました。
背中に背負ってまわります笈摺ができますと、表にお題目を認めまして、私の名前も認めます。それから、左右の両脇に「勧持品」「聚楽・城邑に、其れ法を求むる者有らば、我皆其の所に到って、仏の所属の法を説かん」という一偈の経文を認めました。
これが、日本山の道を踏み開いた私の初めての出で立ちであります。
「聚楽・城邑」に、町でも村でも「法を求むる者」があった時、その人を訪ねて、仏様から付属されたお題目を、広く一切世間の人に説く誓願を、今日まで一生修行してまいりました。「勧持品」の偈の経文が、日本山を創り出しました
皆様方も、その御弟子であります。今日、日本山が開けておりますのは、歩く者ができたんです。歩き廻るんです。
 
(昭和五十八年九月十八日 オーストリア国ウィーン道場)



台北 花市

台北 花市






物質文明の誤り

  大体、世の中はみな不思議な世界であります。悪行が重なれば苦しみが現れ、善業の功徳を積めば仏様が現れ、自分も有難いお姿となります。ですから、すべての問題はわれわれの認識の上にあるのではなく、その奥の方に本質があり、本質の世界がある。それでわれわれもその身は有に非ずまた無に非ず、悪業の因縁によって喜びを受ける身が現れる。
今日、世界の人類がみな悩みますのは、唯物論によって人間の心の奥の世界が隠され、目に見えるもの、これだけを研究する様になったからです。形のあるものだけを考えていきます。その結果、およそ形のあるものは何もかも、小さいものから大きいものまで、ほとんど数え尽くしてみます。それがどうなるかと言うと、人間はやがて自ら滅びる運命になってしまいます。
それで滅びまいとすれば、その考え方を変えねばいけない。
物質的な世界だけを見ていれば、物質を集めたり飾ったりすることが人間の努力する仕事のようになります。今日の戦争はそこから起こります。戦争は物質的な争いであります。それを助けていくものは心の貪欲というものであります、それが戦争の道具になってしまいます。
人間も世の中も平和に治めようとするならば、まず貪欲・瞋恚・傲慢・愚痴・猜疑、これらの煩悩を調整していかねばならない。煩悩は誰にでもあるものですが、無制限に発展させてよいものと思い権利などと言っております。物質がなんぼあっても世の中は恐ろしい世界に転じていきます。
世の中を清らかにしようと思うならば、平和にしようと思うならば、まず物質の存在よりも、身体を養うよりも、さらに大切な問題があります。それは人の心を統制していく道であります。「欲しい」という貪欲の心がない人はありません。「腹が立つ」という、これもない人間はありません。
つまらんことを考えて愚痴も言わない人もありません。有るものを、これが災いに発展しないように自らも苦しむ。こういうところに貪欲・瞋恚・愚痴が走っていくのを止めていく。これは物質では止まらない。精神的な考え方、精神的な統制が必要であります。
貪欲の心が起こる。起こったら自らが抑えていく。この心が起こらねばなりません。瞋恚、腹が立ちます。腹が立つままに茶碗を投げてみたり、人を叩いてみても納まりません。腹が立つ心を抑える心が別にあります。貪・瞋・癡、人間の煩悩は昔も今も少しも変わりません。
それが世の中の災いをなしております。その災いを除くためには、この心を抑えるより仕方がありません。それが宗教の修行であります。


台北 花市


台北 花市









現代文明の転換期


物質はどうしても限られます。政治でも、経済でも、軍事力でも物質欲のものは制限がありまして、やがて亡びます。
 
人間の智慧が発達して、その発達した智慧が物質に執着しまして、争いとなり殺し合いになりました。もはや物質的などんな力をもってしても、この暴力をくい止めることは出来無くなりました。

この横暴な残虐性をくい止める道、これを精神的な力に求めねばならなくなりました。それが現代文明の転換期のようであります。

アメリカの文明全体が機械文明であります。物質的な方面にばかり発達し、精神的な面は真っ暗です。精神面は目に見えないから何もかもこれを押しつぶす事ができると考えて、規則を作り破壊します。心の問題が間違ったので他の者は皆野蛮に見え奴隷と見るようになります。

心の中の一番悪いものを仏様は十四か条挙げました。(十四謗法) その中で一番間違いの大きいものは驕慢であります。これは自らを高ぶります。人間が自らを高ぶって人を侮るときに、そこに平和というものは来ません。

キリスト教の歴史を振り返って見ますと、国家やその民族を平和に導いている歴史がない。この信仰に熱心になりますと、やはり血を見ます。他の神は偶像だと言って排斥します。キリスト教の広まった国土では、古来からその地にある民族的な宗教は根絶やしにされています。

たとえどんな理由があってもひとを殺すことが行われれば、世の中に平和は来ません。人を殺す事を一番の重い罪として教えていく宗教、その宗教が信じられれば戦争というものはなくなるでしょう。

人を殺す事を一番の重い罪とする考え方は、人の価値というものを教えます。人は人をなぜ殺してはいけないか。それは人がやがて仏様になる。お釈迦様と同じに絶対の尊い存在となれることを教えます。



台北 花市

台北 花市




防衛と正義

 防衛と正義という言葉はど、人々を騙し、戦争に駆り立て、人を殺し、都市や村々を破壊せしめ、人類に地獄のごとき苦しみを与えたものはない。

 一部の軍事偏重主義者や一部の米国隷属追従主義の政府高官、政治家、学者、評論家等の言う「国を守る、国民の生命財産を守る」という甘言に騙されてはいけない。

 軍隊によって国家、国民の生命財産が守られたことよりも、軍隊によって国家が侵略され、国民の生命財産が奪はれた事のほうが、いかに多かったことか。

 軍隊にこれ以上の権限を与えてはならない。甚だ危険である。人類の未来は滅亡に向かうのではなく、軍隊を無くし、戦争を無くし、搾取をなくし、調和して安定に向かって行くのである。そうならなければならない。           文責 大津


台北 花市

台北 花市

プロフィール

gyousyuusan

Author:gyousyuusan
日本山妙法寺開山 無辺行菩薩 藤井日達大聖人様の御法話を中心として世界平和にかかわる事を発信して行きます。

大津行秀

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
カウンター
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。