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是無智比丘

         是無智比丘

   昭和丗年太戈乙未8月廿五日     日本山妙法寺       日達

 聖人知三世事に曰く、「日蓮は法華経の行者也、不軽の跡を紹継するが故に」
 訶責謗法滅罪鈔に曰く、
 「日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば、日蓮が仏果疑ふ可きや、彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観房に讒訴せられたり」文
 日蓮大聖人、親ら法華経の行者と名乗らせ給ふ所以は、過去威音王如来の滅后末法に出現した不軽菩薩が但行礼拝の一行を修して、現身に六根清淨を証得し、最后身に仏果を成就して、今の釈迦牟尼仏となった、彼の不軽菩薩の行化は、折伏の行を行じて、悪口罵詈、刀杖瓦石の難を身に受けた、日蓮大聖人も亦不軽菩薩の跡を踏んで折伏の行を行じ、三類の強敵を招き起こした、不軽菩薩は威音王仏の遺教、廿四字の要法を唱へ、日蓮大聖人は釈迦牟尼仏の遺教、五字七字の法華経の題目を唱へられた、万善万行諸波羅蜜の修行を收束して、但行礼拝の一行となし、十二部教、八万法蔵を結要して、廿四字と五字七字となし、ともに謗法、闡提、増上慢の悪人を、逆縁に済度し給へるが故である。不軽菩薩の成仏は日蓮大聖人の即身成仏の例証であった。
崇峻天皇事に曰く、
 「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候也、不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ、教主釈尊出世の本懐は、人の振舞にて候けるぞ」文
 釈尊出世の本懐は、幽玄なる哲学の講演でも無く、実証的な科学の研究でも無く、死後の問題たる昇天復活でも無く、往生浄土の法門でも無い、然らば釈尊出世の本懐はいかなるものぞ、則人としていかに活く可きか、其現実振舞を示さんが為である、それが為には、一には地上に住む人間社会に崇高なる究極の目的を示し、二には地上に住む人間に、安穏なる社会生活を営ましめんが為である。
一には崇高なる人生究極の目的を示さんとして、人間一般総ての凡夫人をして、速に仏身を成就せしめんとする悲願を明かし、二には安穏なる社会生活を営ましめんが為に、最簡易に行い得る、但行礼拝の修行を勤め給ふた、速成就仏身は、如来の悲願であると同時に、凡夫の至極の目的でもある、但行礼拝は、菩薩の自己の修行ではあるけれども、亦礼拝せられし増上慢の人々の胸に焚きし瞋恚の炎を鎮め、手に執りし憍慢の杖を捨てて、始めに礼拝せし不軽菩薩を、後には却て増上慢の人々が礼拝し、不軽菩薩の説法を聞いて心服随順するに至った、かくて憍慢と瞋恚と怨嫉とに閉ざされたる社会相を転じて、安穏なる生活を楽ましむる事を得た、此の過去の例証を挙げて、現代釈迦牟尼仏の滅後末法に於ける、仏法利生の方便を糺明せねばならぬ、抑も不軽菩薩の人を敬ひて但だ一途に礼拝せし所以は如何なるものぞ。
松野殿御返事に曰く、
 「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経を持たば必成仏すべし、彼を軽んじては、仏を軽んずる事になるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひし也、法華経を持たざる者をさへ、若持ちやせんずらん仏性ありとて、かくの如く礼拝し給ふ、何に况や持てる在家出家の者をや、此経の四の巻には、若は出家にてもあれ、在家にてもあれ、法華経を持ち説く者を、一言にても毀る事有らば、其罪多き事、釈迦仏を一劫の間、直ちに毀り奉る罪には勝れたりと見えたり、若は実にもあれ、若は不実にもあれとも説かれたり、之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ物をば、互に毀るべからざる歟、其故は法華経を持つ者は皆仏也、仏を毀りては罪を得る也、か様に心得て唱ふる題目の功徳は、釈尊の功徳と等しかるべし、釈に曰く、「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」と云云
 「法華経を持つ者をば、互に毀る可からざるか」の教訓が厳重に守られて、法華経を信ずる一門の間に、安穏な社会生活の模範を示し、此の平和なる法華の一門が、挙て一国の増上慢の四衆を但行礼拝する時に、立正安国の利生が現れる、法華経を持てる者が、互に毀りつゝ浄論しつゝ而も他の法華経を持たざる謗法の四衆を、礼拝し讃嘆することは不可能である、法華経を持つ者をば、互に毀る根源は、「日蓮が弟子等の中に、法門したりげに候人々はあしく候」此あしき人々がなまじ法門知りたりげに、法華経を持つ人々を見て、妄りに見解の優劣を競ひ、他人を軽賤し悪口するに由る、されば法門しりたりげに候人々は、不軽菩薩の礼拝讃嘆の折伏行をば一生涯の中にも学ぶことなく、常に増上慢の四衆の跡を践んで、法華経を持つ者を毀り罵る罪を犯すのである。
 不軽菩薩が礼拝せし人々は、皆悉凡愚下賤にして俗悪邪見の人々であり、憍慢にして暴力を行使する人々であつた、是はひとり末法悪世に限らず、何時の時代の人間も、一般にこんな者が則人間あり、凡夫である、然るに是等の人々の心の中にも、本来尊重なる仏性が存在する、但し仏性は隠れて見えない、現在に見ゆるものは、仏性とは大凡正反対なる現象の煩悩悪業のみが昼夜に現行しておる、此煩悩悪業外に、赫耀たる仏性が潜在することを信じて、彼の増上慢の人々を礼拝したる者が、則不軽菩薩の宗教的信念であつた。
 不軽菩薩は礼拝と倶に、口に法華経の要文を唱へて、彼の増上慢の人々の心の中に潜める仏性を呼び現はさんとした、かくて不軽菩薩は愈々怨嫉迫害を加え来る、彼等悪人の仏性を呼び顕はして、彼等を成仏菩提の無上道に入れ、彼等を浄土に遊楽せしむることを得る、其最後の日の到来を固く信じて疑わなかった。
 悪には聞かぬふりして忍び、刀杖は避け去りつゝ堪忍してゆけば、後には何の怨みも憎みも残らない、果せる哉此不軽菩薩の礼拝は、彼の増上慢の四衆の仏性を呼び現はし、彼の増上慢の四衆をして、却て此不軽菩薩を礼拝せしめねば止まなかつた、之を自他不二の礼拝と云ふ。
 此礼拝と彼の礼拝と、此讃嘆と彼の讃嘆と、此尊敬と彼の尊敬とが行はれて、昨日迄憎みつる地獄の怨敵が、今日は浄土の善友となつた。浄土の天人、浄土の園林、元来彼の凡愚下賤の人々の、一心の転変から現はれ得可き、本来具足の功徳である、是を以て「毘楼の身士は凡下の一念を超えず」と釈せられた。
 法華経修行の肝心は、不軽菩薩の但行礼拝の一行である、彼の礼拝の対境は、絵像でも無く、木像でも無く、諸仏諸天の尊像でもない、仏殿でも無く、文字でも無い、正しく悪世末法、闘諍言訟を事とする、三毒強盛の悪人増上慢の四衆であつた、是等の人々を質直意柔軟ならしめ、互に礼拝讃嘆せしめざる限り、人間生活は到底安穏平和ではあり得無い。
 不軽菩薩一期の菩薩行は、殿堂をも作らず、仏像をも立てず、経文をも読まず、深義をも説かず、布施をも勧めず、戒行をも持たず、福祉事業をもせず、道に溢れる増上慢の四衆を見るや否や、其所へかけつけて、但だ礼拝讃嘆の一行を行じた、礼拝讃嘆の一行こそ、よく闘諍言訟の大火炎を鎮め、増上慢の暴力を挫く、礼拝讃嘆は親友の間にも行はれ、怨敵の間にも行はれ、家庭の中にも行はれる、広い世界に住む、いかなる人間社会にも、礼拝讃嘆の行はれざる処は無い、礼拝讃嘆は法華経修行の肝心にして、又天下泰平の秘術である。
 身に礼拝を行へば、口には讃嘆の言葉が出る、凡そ他人に対して身に礼拝を行じ、口に讃嘆し乍ら心に軽慢することは出来ない、心に恭敬尊重の念が起ればこそ、身に礼拝が行はれ、口に讃嘆の言葉が出る、悪世末法に増上慢の男女に斉しく恭敬尊重す本有の尊形が存在することを信じ、之を礼拝讃嘆すべき事を教えたものが不軽品である。
 所有る道徳哲学も、おしなべて善悪を差別する処には悪人礼拝の教えは無い、それは独り法華経の特色であり、善悪不二の妙法の修行であり、菩薩行の功徳である、されば古人も「心に不軽の解を懐き、口に不軽の言を作し、身に不軽の礼拝を作せ」と謂った、所詮法華経修行の肝心は、此悪業煩悩の充満せる人間を即身成仏せしめ、此娑婆世界を直ちに浄土化することである。
 妙法蓮華経常不軽菩薩品に曰く、
 是の比丘、凡そ見る所有る、若は比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を、皆悉礼拝讃嘆して、是の言を作さく、(我深く汝等を敬ふ、敢て憍慢せず、所以者何、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏する事を得べし)、而も是の比丘、専ら経典を読誦せず、但だ礼拝を行ず、乃至遠く四衆を見ても、亦復ことさらに往て礼拝讃嘆して是の言を作さく、(我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべきが故に)と。
 四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈して言はく、「是の無智比丘、何れの所より来て、自ら我汝等を軽しめずと言て、我等が為に当に作仏することを得可しと授記するや、我等是の如き虚妄の授記を用ひず」と已上
 此経文を見るに、身の礼拝と、口の讃嘆とは同時の修行である、而もそれは当得作仏の仏性を尊敬して、心からなる礼拝である、之に反して増上慢の心不浄なる者は、他人の仏性の尊敬すべきを知らないから他人を礼拝し讃嘆することは出来ない、他人は皆堕地獄の罪人なるが如くに思ふて軽しめ罵る、結局我身に具足せる仏性さえも信ぜられなくなつて、折角の大乗至極の妙理たる我身の当得作仏の授記さえも是を虚妄の授記として、何の必要もないものかの如く僻案し放言する無宗教の暴論と何等の変りもない、こんな比丘、比丘尼宗教者仏教者が充満するのが則ち末法の姿である。今の代に一切衆生皆当作仏の授記、悪人礼拝の秘密神呪は則ち南無妙法蓮華経の七字である、口に南無妙法蓮華経と唱ふる者は増上慢の四衆を見付けたならば殊更に往て礼拝せねばならぬ、殊更に往て礼拝し殊更に往て南無妙法蓮華経と唱へて聞かせしむることが不軽菩薩の跡を践む現代の折伏である。是の如き日本山の折伏は教理の勝負では無い、増上慢の四衆の元品の無明の折伏である。
 不軽菩薩は一切衆生、就中増上慢の四衆を皆悉当得作仏と授記し礼拝した、増上慢の四衆は真実の法華経の行者を見て、是無智比丘と罵りて軽賤した、今の代何ぞよく是に相似たる。
 御義口伝に(日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱ふる者は増上慢の四衆に是無智比丘と悪口せらるべき也)と仰せられた、是無智比丘と罵らるゝ者こそまことの日蓮大聖人の弟子檀那であり、彼の法門しりたりげに我が法華経の中に於て闘諍言訟する者はすべて増上慢の輩である。経文には特に「而も是比丘、専ら経典を読誦せず」と説かれてある、僧の身として、其教祖如来金口の経典を専ら読誦せないと特色付けたのは如何なる所以ぞ、勿論此比丘は戒行、忍辱等の諸波羅蜜を問題とはしていない、されば正しく破戒僧、無戒僧にして且又無智の比丘である、彼の増上慢の四衆等が是無智比丘と軽賤するのは当然である、而も是無智比丘が末法衆生を利益する僧宝である。
 如来の経典をさえ読誦せない無智の比丘が経典を解説することは不可能である。経典を読誦せず解説せざる者がいかでか他人と法門を論議し他宗と諍論する事が出来やう、諍論はせないが礼拝し讃嘆し尊敬する、それが末法の仏法のあるべき姿である。
 法華経如来神力品に曰く
 「我滅度の后に於て 応に斯の経を受持すべし 是人仏道に於て 決定して疑ひあること無し」
 「此文こそよにゝゝ頼母しく候へ」と身延山御書に仰せられた、但行礼拝而讃嘆の外の折伏は総て戯論に堕して外道の諍論と化する。
 妙蜜上人御消息に曰く
 「然るに日蓮は何れの宗の元祖にも非ず、又末葉にもあらず、持戒破戒にも欠けて無戒の僧、有智無智にも外れたる牛羊の如くなる者也、何にしてか申そめけむ、上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を先立てね言のように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候ひし程に唱ふる也、所詮よき事にや候らむ、又悪しき事にや侍るらん、我もしらず人もわきまへ難きか、」
 四信五品鈔に曰く
 「直ちに専ら此経を持つ」とは一経に亘るに非ず、専ら題目を持つて余文を雑へず尚一経の読誦を許さず何に况んや五度をや事を廃して理を存すとは戒等の事を捨てゝ専ら題目の理を持つ云々」
 ただ専ら題目を持つ者は尚法華経一部を読誦することさへも抑止されてある広学多聞などは以ての外の沙汰である、経典の解説論議等を省略すべきは自ら明である。
 但し法華経を開て拝見し奉るに此経をば等覚の菩薩、文殊、弥勒、観音、普賢等迄も軽く一句一偈をも持つ人無し、唯仏与仏と説き給へり、乃至何に况や末代凡夫我等衆生は一字二字なりとも、自身には持ち難し、諸宗の元祖等、法華経を読み奉れば各々其弟子等は我師は法華経の心を得給へりと思へり、乃至此等の人々は各々法華経を読めりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を以て論ずれば伝教大師ことわって云く、(法華経を讃むと雖も還て法華経の心を死す)と云々。
 高祖日蓮大聖人は親ら尊無過上の御題目がどうして底下薄地の我身に唱へらるゝか。わけがわからぬ、初めは何のはずみか寝言のやうに我心にもなく口に出づるまゝに南無妙法蓮華経と唱へた、唱へ初めてから次々と唱へ続けてゆくばかりである、南無妙法蓮華経と唱へては居るものゝ其心をしらぬ故に、世間の人がそれはわるい事だと云へば悪い事であるかもしれぬ、又それは貴い事だと聞けば或はよい事であるこもしれぬ、世間の非難も強ちにあてにはならず、我身の愚案もたよりにはならぬそんな中に於て南無妙法蓮華経の御題目が堅固に我身に持たれるのはさても不思議な因縁である。
 観心本尊鈔に曰く
 「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の内に此珠を裏みて末代幼稚の頸に繋さしむ」
 法華経の授記品に繋珠の譬がある、酔い臥せる人は何も知らざる間に、其親友は無価の宝珠を其衣の裏に繋けて去た、酔い臥せし人は自ら識らぬまゝに、いつも宝珠は其身から離れない、是が親友の愛情である、如来の大慈悲、南無妙法蓮華経が、いつも我等が口に唱へらるゝことは、是全く如来大慈悲の方便である、我ら末代幼稚の者には、一字二字なりとも、自身の力にては持ち難い、一遍の御題目も是皆如来の大慈悲に催さるればこそ、唱へ奉ることが出来るのである。
 「智者学匠の身となつて、地獄に堕つる者」 「我弟子等の中に、法門しりたりげに候人々」は、各々法華経を読めりと思へども、未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を以て論ずれば、伝教大師ことわりて曰く、「法華経を讃むと雖、還て法華経の心を死す」人達である、是等の人々は一往法華経を讃むるに似たれども、未だ曾て質直意柔軟の謙下なく、増上慢に住し、瞋恚を生じ、悪口を事とし、心不浄にして、他の題目を唱ふる者を見て、ことさらに往て悪口罵詈するが故に、還て法華の心を死す所以となる、言辞柔軟悦可衆心の説法し非して、徒に諸法を諍競すること、学仏法の外道である、而も我法の中に於て、妄りに闘諍言訟して、白法隠没しむる者、自ら私に是を以て折伏の行と称する、当に笑止の沙汰である。
 如説修行鈔に曰く
 末法の初めの五百年は、純円一実の法華経のみ広宣流布の時也、此時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌也、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し、敵無き時は弓箭兵杖何かせん、今の時は権教が実教の敵と成る也、一実流布の時は、権教有て敵と成て紛らしくば、実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には、法華経の折伏と申也、天台云わく、法華折伏破権門理と、まことに故有る哉」
 日蓮大聖人の折伏逆化は、基本は不軽菩薩の折伏逆化に則られたものである、不軽菩薩の折伏に就て、
 唱法華題目鈔に曰く、
 「方便品には機をかんがみて此教を説くべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強て之を説く可しと見え侍り、一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して曰く、(本已に善有り、釈迦は小を以て而も之を将護し、本未だ善非らず、不軽は大を以て而も之を強毒す)」文
 文の心は本善根有て今生の内に得解すべき者の為には、直ちに法華経を説く可し、然るに其中に猶聞て謗ず可き機有らば、暫く権経をもてこしらへて、強て法華経を説く可し、本大の善根も無く、今も法華経を信ず可からず、何となくとも悪道におちぬ可き故に、但だ押して法華経を説て之を謗ぜしめて、逆縁となせと会する文也、此の釈の如きは、末代には善無き者は多く、善有る者は少し、故に悪道におちん事疑無し、同くは法華経を説き聞かせて、毒鼓の縁となす可き歟、然れば法花経を説て謗縁を結ぶ時節なる事諍ひ無き者をや」已上。
 熟ら不軽菩薩の行化を見れば、未だ曾て増上慢の四衆に対して、諍論を引起された事は無い、身には但行礼拝し、口には要文を唱へられたのみである。謗法の四衆を見る毎に逢う毎に、いつもいつも「汝等皆応に作仏することを得可し」と大音声に繰返されたのである、不軽菩薩に出逢ふた人は、不軽菩薩の唱ふる要法二十四字には、ほとゝゝ聞き飽きて、耳に「タコ」が出来たであろう、「我 汝等を軽しめず」の要文が、彼等日常他人に対して折伏の如く僻解して「汝等は放逸の人懈怠の者、謗法の者、必無間大城におつ可し」等と云ふ処と正反対になつたので、余程癪にさわったと見えて、此礼拝する菩薩比丘のあだ名を不軽と名付けた、我等が法華経修行の肝要も、南無妙法蓮華経と唱へて、衆生法を妙ならしめて之を礼拝し、毒鼓を撃て、増上慢心を弾訶するが故に、彼の増上慢の四衆は、或は「法花」とか、或は「太鼓」とか、我等をあだ名するであろう。
我等は勿論法門の勝負を競論するが如き、無用な学匠沙汰をする暇は無い、問答諍論をせないが故に、増上慢の四衆等には「是無智比丘」とも見えるであろう、「是無智比丘」と罵らるゝでもあろうことは、経文のおもて御義口伝の鏡にかけて違ふ所は無い。
 「是無智比丘」と他人に罵らるゝことは、増上慢の罪業にして「是無智比丘」と罵らるゝことは日蓮大聖人の弟子の資格である、罵らるゝことは法華経の行者の恥では無い、罵る者こそ法華経の心を死す恥辱の者である。
 天台大師は不軽菩薩の折伏を批判して、「而も之を強毒す」と云われた、増上慢の人の為には、不軽菩薩の撃つ毒鼓の音二十四字の要法と、礼拝とは、宛も毒薬を飲まされるやうに聞苦しく、又見るにたえ兼ねて瞋り狂ふた。同じ文句を繰返すのに、益々大音声をおこすに於ては愈たまらない、堪へきれなくて彼等は怫然として刀杖瓦石を採て不軽菩薩を打擲した、不軽菩薩は彼の暴力から非難逃走して、身の危険をさけた、一応危険は避けたものゝ、又復増上慢の四衆に対して、但行礼拝而讃嘆言した、不軽菩薩は彼等が毒薬の如く嫌ひいやがることをよく知りつゝも、此毒薬を盛れる杯を無理矢理に彼等にすゝめた、不軽菩薩の折伏斯の如く、日蓮大聖人の折伏も亦此の如くである。
 法華初心成仏鈔に曰く、
 「其故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて、法華経を弘め給ひしには、男女尼法師が、おしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ、或は打たれ追はれ一種ならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しも懲りもなくして、強て法華経を説き給ひし故に、今の釈迦仏となり給ひし也、乃至まして末法に甲斐なき僧の、法華経を弘めんには、かゝる難有るべしと、経文に正しく見えたり、されば人是を用ひず、機に叶はずと云へども、強て法華経の五字の題名を聞かす可き也、是ならでは仏になる道は無きか故也」已上。
 日蓮大聖人も「人是を用ひず、機に叶はずと云へども、強て法華経の五字の題名を聞かすべき也、是ならでは仏になる道は無きか故也」と仰せられし如く、末法の折伏、而強毒之の行化は、強て法華経の五字の題名を唱へて一切衆生に聞かしむると云ふ但此一事である。
是五字を聞かしむるより外に仏になる可き道は無きか故である、彼の増上慢の一類の者等の好む諍論勝負の如きは、成仏の道では無い、それは唯法門しりたりげに、己が造詣機智を誇らんとする、学仏道の遊戯にしか過ぎない、我等は一途に成仏の道を辿つて、法華経の五字の題目を唱へて、増上慢の四衆に聞かしむるより外に、何の使命も持たない、是こそ是無智比丘」とあだ名せらるゝ者のゝ真の法華折伏の逆化である、法門を諍論して論じ勝ちたりとて成仏の道とは仰せられず、論じ負けたりとて、地獄に堕つべしとは仰せられない、総て諍論勝負は、勝負ともに白法隠没の悪因縁たるに過ぎない、智者学匠の身となりて、地獄におつる所以は、大旨法門を諍論して、勝負に狂乱するが故である、諍論勝負は仏法学者の競技、精神的賭博である「是無智比丘」には、そんな芸当もなければ、そんな興味もない、闘諍心理は、我等には持合せない、
 如説修行鈔に曰く、
 「されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば、誰か経文の如く行し給ひしぞ、誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法也と、声も惜まずよばはり給て、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ、三類の強敵来らん事疑無し」文
 諸経諸宗が一乗法華の敵となつたのは、七百年前の昔の夢である、当世一乗の強敵となつて、広宣流布を阻んでおるものは、そんなものではない、諸教諸宗の折伏に由て、諸教諸宗か衰微するかもしれない、其衰微を欣ぶ者は、法華宗の人よりは、寧ろ無宗教者、唯物論者、共産主義者であろう。
 諸宗無得道をいかに叫んでも、其折伏に何等の痛痒を感ぜず、却て拍手して共鳴する者がある、共産主義者、唯物論者、無宗教者、耶蘇教者等である、当世自ら折伏を行ずと云者は、諸教無得道と云ふよりも一層狭範囲になつて、同じ法華宗門内の諍論に明けくれ、此処に押寄せ彼処に押寄せ、正しく法華経を持つ物をば、互に毀るのみでである。
その折伏は共産党や唯物論者が嘲笑するのみならず権教権門の輩も、また拍手するであろう。その結果はいたづらに法華宗門の白法隠没となるのみ。彼等は恐らく法華宗門人已外の者と諍論することさへ無くて済むであろう、それでは天下万民一同に、南無妙法蓮華経を唱ふることはさておき、南無妙法蓮華経を聞かしむる事すら不可能であらう。諸教無得道、法華独一の成仏の云ふことも、所詮は我が撃鼓宣令の説明である、もし南無妙法蓮華経と唱へず、毒鼓を撃たなかつたならば、いか程諸教無得道、法華独一の成仏を叫んで折伏しても、宛も花咲て果無く雷鳴て雨降らざるが如く、何の要にも立たない。
 もし当世三類の強敵を招き起さんとするには、正真に方便を捨て、唯南無妙法蓮華経と声も惜まず唱へ奉り、大法の鼓を撃て、立正安国、娑婆即寂光、即身成仏の大運動を起すことである、大運動と云ても、大勢を組織立てする謂では無い、一人堅固の大信念を以て、街頭に出でゝ、増上慢の四衆を礼拝讃嘆し、恭敬尊重することである、諸天善神の照覧する所、天人竜神の恭敬する所となれば、是が即大運動である。
 日本山一門が、俗衆増上慢、天子魔軍の特高警察や、軍部乃至現在の政府人の、反対弾圧、世界仏教徒大会、日本仏教連盟等々の、同門増上慢、潜聖増上慢の人々の、悪口罵詈を忍ぶ所、是れ正しく三類の強敵を招き起せるものに非ずや、不軽菩薩の折伏逆化の要法は二十四字、日蓮大聖人の折伏逆化の要法は五字七字、日本山の折伏逆化の要法は、日蓮大聖人の要法、五字七字の南無妙法蓮華経の要法である、但行礼拝而讃嘆言である、一切衆生を南無妙法蓮華経と礼拝讃嘆し奉る、娑婆国土世間を南無妙法蓮華経と礼拝讃嘆し奉る、
 妙法蓮華経如来寿量品に曰く、
 「衆生劫尽きて 大火に焼かるゝと見る時も 我が此土は安穏にして 天人充満す」
 是れ無智比丘の誓願である。
   
  南無妙法蓮華経


  昭和三十年太才乙未七月二十五日      於   那 須 道 場 認 之 
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人類愛の律法 マハトマ・ガンディー

      
マハトマ・ガンディー

 マハトマ・ガンディー

        人類愛の律法

私は暴力に逆襲することは、ただ人間の野蛮性をより増長する結果になるのみであるということを言った。

非暴力は臆病者が取る道ではない。それは死に相対する心構えが出来ている勇気ある者の取る道である。

剣を滅ぼす者はいかにも勇敢である。が一指も挙げずに尻込みせずに死に直面する者はさらに勇敢である。

打たれることに恐れて自分の所領を与えてしまう者は臆病者であり、非暴力の信奉者ではない。彼は非暴力とは何であるかを知らぬ。

打たれることに恐れて自分の家族の婦人たちが辱められるに任せている者は男らしくない。彼は夫たるに、また父たるに、また兄弟たるに相応しくない。そんな人々が苦情を言う権利はない。

しかしながら私に機会が与えられるとすれば、肉体的な限界があり、不可能であると思われるようなことであろうとも、行うに躊躇はしないであろう。

アヒンサにおいては、それを信ずる者が、自分の力で活動するのではない。神は私に活動力を与えた給い、私の言葉を必要とするところで飾ってくれる。







山村行善上人 嘆徳章

嘆行善院日財上人徳章

 惟時昭和第十四太才己卯年十月十四日、行善院日財上人の為に荼毘の式典を挙ぐ。
 
上人は我が日本国の鎮めとして、東海に聳え立つ富士の御山の麗なる静岡市の一商家山村文治朗氏の嫡男として生まる。幼少にして家計豊かならぬを憂ひ、登校通学さえも廃して一意専心家運の挽回につとむ。或は双輪の自転車を走らせて日影傾く天城山の嶮難を昇降し、或は一身に貨物を負荷して暁ふかく街頭を奔走す。到る所の華客商店みな此少年の誠意に感じて信用日々に篤きを加え、家運漸く再び興らんとす。父母も歓喜して将来を楽しみ、市中町内の者も亦、歓喜して其成長を俟つ。家は代々法華経の信心深く正法を随力演説して近隣の人々に正信を起さしめたりしかば、上人の此の如き家庭の雰囲気の中に自ら法華経の信仰に目覚めなんとす。
時、偶々日本山妙法寺の草庵が市の近郊に建つに及び、松谷中佐の化導を被て日本山に参詣し、鼓を撃て妙法を唱ふるに至り、今生一期の方針を額定せんが為に一百日間の暁天日参を発願し、所願満足の朝ひそかに家を出て帝都に上り、日本山の帝都の道場として其名も吉祥寺の付近、三鷹村に開堂供養を営むの時、上人来り投じて俄に剃髪更衣の式を挙げんこと請う。時に昭和二年四月二十八日なり。
 家族は驚いて今日上人に出家せられなば誰れか家運を救ふものぞと強いて上人出家の意を飜さしめんと欲し、町内近隣の有志は、家族に同情し相計って上京し、上人の手を捉り足を捕て強いて郷家に伴れ帰らんとせしかども、上人出家の意を微動だにせしむること能わず、手を空しく引き帰しぬ。
是に於いて近隣親族咸く皆怨嗟して日本山妙法寺の化導を悪口して曰はく、日本山は一家族を滅亡せしむる宗教なりや、日本山は牢獄囹圄に入るの門なりや、日本山は正法の仮面を被れる乞食の集団なりや、等と罵りて冴へ瓦石を擲つことさへありき。正法には、会ひ難く出家となること又復難し。上人は出家已来其身はたとひ静岡に到ることあれども、魔縁の競はんことを恐れて再び家に帰らずして、偏に仏道を精進し其功徳を父母に回向せんには如かずと願い給ひぬ。
 上人出家の頃、予も亦た多くは帝都の道場に在り、日々相共に市中近郊を撃鼓宣令して立正安国の祈念を発さんと欲す。田無、調布の町、中野、堀ノ内等、希には多摩の御陵、池上本門寺等未だ知らぬ道を同行二人、三人にて終日経行し、或は仏前に法華経を読誦して如来の真文を拝す。やがて皇城祈念の為に市中牛込に家を借りて移り住むや家賃の支弁容易ならず、飲食の供養殆ど絶ふ。遠く飲店を尋ね廻りて、残飯を請ひ、或は焼薯屋に詣て薯の皮を請ひ、是等を包み帰って纔に露命を続くよすがとなしぬ。炎熱の日、風雨の夜、帰り来て包みを解けば残飯は殆ど糊の如くなりぬ。
毎日市中修行八、九時間経行したる疲労も忘れて、夏の夜の短かきにも、冬の夜の寒さにも同行の人皆床に臥して夢路を辿るの時、上人一人仏前に跪座して孤灯闇き所、手に法鼓を撃ち口に妙玄題を唱へ、低声小音に唱題三昧なり。此間、眼は法華経、御妙判に曝して一句一偈心肝に染めぬ。道心薄き者の一夜とても猶ほ堪え難き所なり。上人一期の宗学解了は実に斯くの如くにして無師独悟せるものなり。
 大正天皇晩年、偶々葉山御用邸の御祈念に関して葉山法難に随身し、葉山、鎌倉、藤沢等の諸所の警察の留置所に展転手洗廻しに抑留せられし時、一死を決定して飲食ふたつながら断ち、唱題修行に余念無く従容として死の期を待てり。此法難に由て、親の勘気も町内の怨嫉も稍々寛ぎ、上人出家の功徳を随喜する所有るが如し。
 上人天性温順の質、妄りに他と諍ふこと好まざれども、一旦正義正信を執っては、一切世間に畏るる所無く、特に官憲の不信横暴に対しては、獅子奮迅の勇猛を発せり。就中去る昭和十年の地久節奉祝行列に加わりて二重橋事件を起しぬ。決死の僧俗六十余名を率いて、かねて禁制せし警戒網を突破し正法祈念の威勢を示せり。日本山妙法寺が高祖大聖人の御本意を継いで二重橋の前に御祈念を発してより已に十余年に及ぶ。此間、遠方辺地の行幸の都度、或は北海道に、或は西海道に、どこまでも影の形に添ふが如く、日本山の大衆を率いて凰輦に随ひ、玉体恙無かれかしと祈念せざることなかりき。往くに旅費無くしては数々行脚し、泊る舎なくしては毎に草に枕しぬと雖も一片の赤心燃ゆるが如く、万障の艱難を排して進まざること無かりき。
 行幸啓の時は、凰輦の警護に当る者の間に遂に「日本山係り」と称する一斑を置き、警視庁の内に亦「日本山係」の一斑を置いて注意看視せしむるに至りぬ。是即ち勇猛なる反響なり。此外各地御用邸の在る所毎に必ず皆草庵を設けて常住不断に祈念を凝らせり。海外は且く措く、日本の関東地方の日本山妙法寺は概ね、皇室の御祈念の道場として湧現せるものなり。
 上人の孝心は、やがて父を度して仏門に入らしめ、鴻の台に清浄なる道場を建てて、父をして安住せしめたり。上人の慈愛は親近する者を化導して仏道に入らしめたり。
遠くは西天印度に開教せる者及び交戦地の支那各地に従軍せる日本山の徒弟、近くは関東地方の諸弟子達等、熟れも上人の化導を被れる者ならざるは無し。名声普聞衆所知識の人なりけり。徒弟を度すれども皆悉く開教の第一線に送りて上人の身辺には、人手少なく而も用件甚だ繁忙なり。西天開教已来日本山に印刷部を設け毎月、西天の消息類を発刊し、或は時に応じて諸種の論説を出版せること既に十年に垂んとす。植字の校正に到るまで寸暇なき上人の手に拠らざるは無かりき。而も出版物の全部は非買品にして施本なり。出版に要する所の出費も亦皆上人の清浄なる護法心の変化なり。日本山妙法寺の法流を疏通せしむること、もし上人なかりせば殆ど望み絶えたる次第なりけり。此点上人の辛苦は予が尤も深く感謝する処なり。
上人文芸思想に豊なる人に非ず。文は拙、言は訥、字も亦多くを識らぬ人なり。しかれども予が在天十年の間、親族、知己、道友はさておき日本山の草庵に住する者、日本山の弟子檀那と称する者の中に於いて最も多く、最も詳らかに時々の消息法運の盛衰より慶弔の種々につけて消息したる者はげに上人なりき。尤も多忙なる上人は又、尤も多く消息せる人なりけり。在天十年故郷の消息とし云へばいずれか懐しからざらむ。されど上人の如く懐しく心慰む消息は無かりけり。道の遠きに志の深く見ると是なり。最近、那須に静養すること凡そ一百ヶ日、其間、上人よりの消息も亦十余通に及ぶのみならず、其身親ら那須に来り訪ふこと前後三度なり。此外那須の随身の人々に対して消息せるもの数通あり。臨終五日まえにも長文の消息を認められたり。上人の文は上人の心のみ、此の心有るが故に即ち此文ありしなり。上人の消息は上人の説法なり。謙下の心を以て無上の法を演ぶ。間然する処無し。
 昭和五年八月二十五日、予西天開教に旅立つや、人ことごとく云ふ、予在らざる後の日本山妙法寺の法運は、内地に於ては衰微すること無くんば幸なりと。然るに上人一張の鼓を撃て一人帝都に止まり立正安国の祈念を断絶せざらしめんことを誓ふ。爾来十年の間二重橋の祈念を一日たりとも欠くこと無く帝都市中の街頭修行も亦、一日たりとも欠く事無かりき。かくて日本山妙法寺の正義の赴く所を天下に光顕し日本山の基礎を額立せしめたり。
 上人出家已来、三鷹、堀切、中野、鴻ノ台等近郊清閑の地に日本山の道場湧現せしかども、是等は何れも二重橋の祈念に便ならざるの所以を以て未だ曾て自ら止住せず。されば上人出家の一期は住むに家なき市中の放浪なりき。或時は割長屋の一室に、或時は物置の片隅に、或時は信者の家に同居して雨露を凌ぐこと実に十余年。若干の仏像、経巻太鼓等を護持し、幾十名かの弟子を率いて幾度展転移住するとも而も、王城祈念の便宜を失うことを欲せざりき。此間信者もあり不愍と云う者もありしかども、苟も上人の宿る処には毎に大法の鼓を撃つが為に心無き近隣の怨嫉を蒙り、追はれ追はれて其の居を移さざる可からざるに至りぬ。去年予が帰朝するにあたりても市中になほ予の膝の容るるの道場すら無かりける。日本山の行持は、出家の生活にして、出家の生活は樹下石上、雲所無住の生涯なり。彼の寺門、殿堂の経営は、日本山の正義に非ること分明なり。寺院に止住する僧侶の多きに比して仏法はいよいよ衰微の穴に堕つるなるべし。
 去年の春の彼岸に予が西天印度より帰朝するに当って始終随身給仕し、特に帝都に於ける仏事成弁を以ては自己の使命と覚り、毫も懈惓する所無し。予が今年の春の彼岸に再び帰朝して吉野山入るや又来て随身給仕せんとせしかども有待の依身数々病悩に倒れて起つこと能はざるに到て遂にやむを得ずして医師の治療を受け、苟も小康を得れば又直に仏事に奔走して静養の暇無し。
 四月の下旬予が再び帝都に入りしかども予も亦病魔に悩まされ、穏田の仮寓に師弟二人枕を並べて臥し倶に医師を請して治療を受くるに到りぬ。七月八日予は遂に静養に託して那須の温泉に湯治せしかども上人は帝都に残りて仏事に精進し遂に病を癒すのひまなかりき。那須の随身の人々に対して消息せられたる中に、今年に入りて病患に罹りし数を自ら数えて、十二、三に及ぶとて、一々病名を誌されたり。
 「一、助膜炎 二、腹膜炎 三、賢盂炎 四、腎臓炎 五、肪胱炎 六、神経痛 七、二転捻挫 八、吠傷 九、鼻孔加答児 十、急性胃腸加答児 十一、痔 十二、中耳炎]
自分で勘定して驚きました。或人が未だ活きて居ますかと云われたそうですが実に其通りです。それでも今度は死魔にとりつかれませぬ。起つ時に起たうと思ふております。起ちそこなって生命を永へても詮の無い事です。目と心臓と手丈が患はなかった事は有難い事です。又当分痛い思いをしなければならないかもしれませぬが、今度はそんなに酷い事は無いと思います。今年は病み年でせうから来年は病まないでせう。しかし今病気とかどうとかは余り考へませぬ。痛ければ痛いから早く治さうと思う丈の事です。起つ必要に応じて起ったらよいのですから、今年の内に渡天出来ればよいがとそれのみ思って居ます」已上
 通身是れ病患、五体総て苦悩聚、只僅かに眼と手と心臓とのみが上人の為に病患を免れたりとて歓喜せられぬ。此の如き一身の大患重症の間に於て宛ら身の病患に関せざる者の如く只管病の重きを忘れ、死の迫るを忘れて只管長途の航海、西天に渡らん事をのみ念願し給えり。三障四魔も嬈すこと能はず、五鹿六欲も染まること能はざる大丈夫なり。
 さあれ四大不調にして昏倒失神するも猶ほ安静休養の暇無く、繁忙重畳する時に人の寿命何の縁にてか永らへ得可き。
 去月二十一日付の消息に云はく
「恩師猊下の御慈悲に逆ふやうで実に済みませんでしたけども、健康には留意して居りましたので冷水摩擦や岡崎博士の御指導の旨は守りました。謂はば無理と云ふのは暑気と豪雨の中の撃鼓宣令丈でありませうか。これらに一々気をつかって休んでは一体此仏事はどうなるでせうと思ふと恩師の御慈愛が解ら無い訳ではありませぬが、何卒我儘な此点丈が改める事が出来ませんのでありました。何卒特別の御慈悲に申て見逃し遊ばして頂き度ふございます。
 十一日柏田師と二人倒れました。急性胃腸加答児であります。始は柏田師の方が重かったのですが、私は余病の併発となりまして遂に今日に至りました。四人の中二人迄倒れ、而も看護を要する為に御祈念は只の一人しか続けることが出来なくなりました。」
 春の頃、高須国手上人を諫めて云はく、
 上人今にして静養するに非んば仮令治療するとも其甲斐あるべからずと云はれしに、上人答えて、「たとひ治療の甲斐無かるべしと雖も而も静養する余閑なきを奈何にせん。仮令此仏事の為に倒るることありとも毫も悔る所無し。」と。かくの如くして国手も遂に其精進を止むこと能はざりき。況んや他の弟子檀那等の人々がいかに諫め止むればとて、本より随う気色だにもあることなかりき。
 上人天寿を全ふすること能わず、帝都の仏事を完成すること能はずして猶は壮年の齢にして娑婆を去らせ給ひし因縁は疑ひも無く上人非常の精進の致す所ならずんばあらず。仏道精進して寿命を顧ず、是即我不愛身命、但惜無上道の心地なり。上人の寿命の短かきを慨かざる可からずと雖又上人の精進勇猛なるを学ばざる可からず。ああ、日本山の一門にして有為の法器は相ついでで皆少壮にして娑婆を去りぬ。慨く可きか喜ぶ可きか我それをこれを識らず。
 上人去年発願して曰く、今度の支那事変に処して須く我が身命を棄てて国土の恩を報ずべし。然るに先年楞枷の比丘、比耶頼佗那上人より寄贈されたる仏舎利を以て帝都に広く塔を起てて供養を発さんと欲す。然れば此仏舎利を近衛公爵に奉って護持し供養し給はば、我此身を支那の戦乱流血の地に埋めて正法治国の因縁を結ばんと。予これを聞いて曰く、
 近衛公に仏舎利を奉るはよし死を求むるには非なり。正法の行人には死魔の誘惑あり。我が事すでにに竟るの想を生じて残りの寿命を捨てさしむるなり。強いて死地を求む可きに非ざるなりと。
 然るに今年の五月二十五日機縁純熟し近衛公爵の為に仏舎利分布の式を挙ぐることを得たるに迨んで上人一期の希願略ぼ満足せるが如し。此仏事の後旬日を出でずして支那の汪兆銘和平救国の大義を懐ひてひそかに日本に渡り近衛公爵を訪ふてこれを訴へ決定心を得たり。上人是を以て偏に仏舎利分布の功徳現前せるものなりと称していよいよ大歓喜を生ぜられたり。是より上人は更に一歩を進めて帝都の仏事を興し如来の遺身舎利を尊重して鎮護国家の利生を施さんこと、彼の聖徳皇太子の佳例に倣はんと志し、病軀を策励して九月鴻ノ台の道場に詣で十七日間断食修行を勤め仏舎利奉迎の為に年内渡天の機運を促進せしめたり。此断食は上人最後の修行なりしか、健康回復の希望は消えて衰弱のみ加わり忽ち病勢進みたりとは雖も断食中に信解品の父子相迎の深義を悟りて大歓喜を生じ、衰弱やや回復したる九月二十四日、那須の仮寓を訪ふて帝都の仏事開宣の為に植村刀自を伴ひ、京都の村雲尼公を訪ね、亜で渡天の許容を求めたり。
 上人曰く、「幼少より無能なりしが偶々善智識に会ふて正法の中に出家修道することを得たり。譬えば、窮子辛苦して周く諸国を流れ遂に長者親父の門に詣れるが如し。皇城の祈念、街頭の修行型の如く日々退転なく勤め来たりといえども只是日本山の年中行事として勤めたるのみ。譬えば、窮子長者の舎に入て諸物を出入するが如し。今日漸く、我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ等と誓ひし高祖大聖人の大誓願、応に我が身の誓願となりかはって、天下泰平の祈念の秘要建立の修行の日々其快爾謂ふ斗り無し。是れ全く善智識に会える幸慶なり。立正安国の誓願修行は我が無限の光明遍照界なり。譬ば窮子、長者、親父の一子となりて財宝無量求めずして自ら得たるが如し。」云云
 十月十一日の晩景に予、前後四ヶ月目に帝都に入る駅頭に上人の影を見るべくして然も上人の影を見ず。上人の容態軽からざる為也。予は穏田の仮寓に入る。夜半忽ち上人の危篤を報ず、とかくして明くれば十月十二日高祖大聖人御入滅の霊地池上の御会式に詣で御通夜の修行に障無からしめんが為に、予も床に臥て薬を用ひけるが、上人の容態刻々変り行きて、遂に出る息は入る息を待たずなりぬとのしらせに驚き、直ちに車を藉て淀橋に赴きしが、此時遅く已に道場の中よりは臨終の御題目の、撃鼓の音に和して昌に起れり。
 必死不治の病人のためには良薬も亦変じて毒となるならひなり。上人は自ら治病の手当も怠らざるのみならず、諸方の名医を尋ねて診療を受け一日も早く全快せしめんと藻掻かれしかども、其結果は遂に色好ならずして却て夭折の悲しみを招きぬ。一期の命数限有る所以のものか。最も肝心なる御祈念の責を負へる帝都、最も多忙多用なる帝都の僅かに二、三の随身の看護の裡に上人は遂に大患より大死に到りぬ。看護の人々己が身命に代えて上人を活かさんと務めたりし志もあわれ一抹の煙となりぬ。
 思いきや、十年を経て偶々日本に帰り来るや、未だ少壮の齢の上人の為に臨終末期の水を汲まんとは。
 上人逝て帝都の法運塞らんとす。上人逝て広宣流布の金言も忽ち疑を生ず可きに似たり。上人逝て日本山の正義応に隠没せんとす。法孤り弘まらず、これを弘むる人にあり、其の人今や無からんとす。噫、悲しい哉、痛まし哉、窓を打つ時雨の音も惨として上人の枕辺を囲む人の咽ぶ涙に和するが如し。
 往昔弘安五年十月十二日は高祖日蓮大聖人武蔵国洗足郷多摩川の辺り、池上右ェ門の太夫、宗仲が家に入て御入滅遊ばされし御逮夜なり。爾来六百六十年遠近百万の人撃鼓唱題の声夜を徹して梵天に到る。
 今年昭和十四年十月十二日は行善院日財上人、当時の王舎城たる東京の淀橋なる川崎信士の宅に於て老少不定の掟とこしえに世の無常を示しぬ。上人逝て日本の柱倒れなんとす、上人逝て日本の眼目失せなんとす、上人逝て日本の大船覆らんとす、上人逝て日本国は今日滞涙、滂沱、悲雨瀟々として無窮の憂愁を催ふす。
 一切の大事の中に国の亡ぶるは一大事なり。日本国には近年頻りに三災七難競ひ起り内憂外患交々到るの時、上人涅槃に安住す可からず、速に上々品の寂光の往生を遂げ順臾に還り来て再び身を日域に受け、皇国日本に立正安国の祈念を唱導し、東方亜細亜の光明を揚げて、一天四海皆帰妙法の暁を期し世界万邦を挙げて通一仏土の大観を成就せしめ給はんことを。
  昭和十四年太才己卯年十月十七日

          日本山妙法寺  沙門         日 達 敬白

不殺生戒と、日本国憲法第9条

     不殺生戒と、日本国憲法第9条
 
 今や全世界は戦争・紛争・貧困に苦しみ、地球環境悪化に悩む。北の一部の国々は、自由貿易という巧妙な搾取、略奪のシステムを作り出して南の国々を貧困のどん底に陥れ、自らは飽満と贅沢の歪められた春を楽しむ。
世界中より軍隊という殺人・破壊の専門職業がなくなったとしたら、強盗・殺人・破壊・人権侵害は完全にはなくなりはしないだろうが、その被害は何分の一、或は何十分の一に減少するだろう。
世界中より軍事費という膨大なお金が、恵まれぬ人々に使われたとしたら、貧困はなくなりはしないだろうが、餓えて死ぬ人はなくなるかもしれない。
世界中の広大な軍事基地に、米や麦、トウモロコシを植え、花で満たしたならば、どんなに素晴らしいことか。もう止めよう、鉄砲かついで、防衛という麻薬を吸うことを。
人の特性である叡智を使え、慈悲で包み込め、地球を蘇生させよ。地球上に、仏様の至高の教えである不殺生戒と、日本国憲法第9条が実行されて行くとき、
人々は中睦まじく平和に生活し、動物達は野原を駆け巡る。小鳥はさえずり、植物達は摩訶不思議な色とりどりの美しい花を咲かせてくれる。
これが御浄土であり、天国であり、楽園である。こう信じて、夢見て、21世紀・22世紀・100世紀を生きていく。

合掌 文責大津

科学文明


御師匠様


御師匠様


       開堂供養の辞

現代文明は科学文明と呼ばれる。科学文明は十六世紀の頃から欧羅巴に発生し、独自に発達暴走して、その結果は人類全滅と自然環境破壊に猛威を振るいつつある。人類全滅も環境破壊も必ずしも科学独自の目的でもなく又、その科学の意思でもない。
人類全滅・環境破壊を行う者は科学を応用する軍隊組織と大企業とである。軍隊と大企業とを活動させて人類全滅・環境破壊を行う者は近代国家の政策である。その政策を定めてこれを実施する者は国家権力である。国家権力と云う者も所詮は国民各個の意思・思想信念の結集に外ならない。その国民の意思・思想を指導する者が所謂宗教である。
プロフィール

gyousyuusan

Author:gyousyuusan
日本山妙法寺開山 無辺行菩薩 藤井日達大聖人様の御法話を中心として世界平和にかかわる事を発信して行きます。

大津行秀

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