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中国開教 

中国開教 昭和八年十二月二十日

日本山の西天開教は、乃至一人にて沢山にて候、既に二人三人と増員することが結局不安になり候、内地満州(中国東北部)の道場を見る時に安楽の所ほど多勢生活の所ほど悪邪の心に入り替わり候、彼等昨終に省みて多からん事、悲しかるべく候、中国も将来化導すべき地にて候、インドの仏法とは申し乍ら日本に伝通せしめしものは中国の仏法にて候いき、今日西天に中国人として参詣巡錫するものの稀なる事、日本よりは更に少なく候、仏化衰微の様を卜すべきにて候、道順より云えば満州についで中国の化導こそ大切にて候え。



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臘八断食修行

  断食 昭和八年十二月十四日
 
断食修行一七日間をワルダの塾にてつとめ候、御修行中は特にガンディー翁のお居間を空けて御修行に便せしめくれ候。さすがに断食修行にかけては大英帝国の措置をすら、しどろもどろにうろたえしめたるガンディー翁の一門の人達なれば、其の手当ても其の苦痛も其の功徳も、熟知せられたることとて大層親切にお世話をしてくれ候。拙子もいつも臘八修行も勇み喜ぶ御修行ながら、今年は猶一層広大な歓喜と希望と安楽とに充足せられ候。


印度 行進 ブッダガヤ 尼連禅河
             
                  印度行進 ブッダガヤ 尼蓮禅河

印度 行進




伊東道場 4月

伊東道場 四月



伊東道場 4月


伊東道場四月

この一念が世界を平和ならしめる

「アメリカに唆されている」 昭和四十一年三月十九日 茨城県百里原道場

いま日本国の政府がアメリカに唆されまして、終戦後一度武器をすてて今後の世界情勢は武力や戦争で解決すべきではないから、一切話し合いでどんな紛争も片付けようといって、武力を捨てて戦争を放棄しましたが、アメリカは勝ちに乗じて、世界を支配する気分を起こしました。
それでまず日本をその足場にして、それから朝鮮、タイを経て大陸に向かって支配力を進めようとしまして、朝鮮戦争を起しましたが、それがうまく行かなかったので、これは唯足場に日本を使うだけではいかないから、日本の青年を使って再び戦争に立たせようということに腹を変えました。
これは始めは警察予備隊なんていうておりました、遂に自衛隊という軍隊に作り上げてしまいました。そうして自衛隊が今度は飛行基地まで作って、立派な戦闘部隊が出来ました。これは日本国を守りますよりは、アメリカがアジア支配の上に日本の兵隊を使うつもりであります。この間、議会で佐藤栄作が沖縄が若し攻撃されたならば、我が同胞の仲間が敵の攻撃をうけたら大変だから、日本も自衛隊を派遣して、応戦せねばならんと言い出しました。これは社会党が取り消すように申し込みましたが、取り消さないつまりでおりましたところ、どうもあんまり受けが良くないので、遂にそういう事は実は出来ないのだという話にしました。

「クーデターを起さすものは誰か」

この軍隊が出来ればやがて戦争を起し、戦争になります。戦争を起すのみならず、今度軍隊は唯ぶらぶら遊んではおりません、権力を掌握します。その権力を握る為には又軍隊が必要になります。それでアメリカが日本に軍隊を作らせて、その軍隊の幹部はアメリカが教育しております。
そのアメリカの教育した軍隊が、アジアでもアフリカでも、クーデターと申しますが政府をひっくり返して、政権を取っております。政権を取ればアメリカが金を貸し、それから武器を貸してやります。そういうものは皆アメリカの奴隷であります。この世界中をアメリカの奴隷にしょうとして、まず日本国をその足場に使っております。その一つがこの百里原になりました。
戦争勢力に抵抗する日本民衆の平和の祈りがこの道場となりました。お寺は小さくても責任は重いのであります。


「砂川基地の不思議な事故」

ほかにも東京の付近に砂川という処がありますが、そこにも畑の中に小さい小屋を建てまして、そこで平和祈念のご修行をしております。今日までその道場はまだ動きませんが、不思議な事に、そこに石の宝塔様を建てましたときに。防衛庁は建ててはいかないの、取り壊すのと言って居りましたが、その矢先に向こうの飛行機が何か事故を起しましてつまずきました。
それから最近、砂川の裁判でありますが、いよいよ無茶苦茶で、飛行場が出来たことは憲法に抵触しないといってどんどん拡張工事をしております。その拡張工事に日本山の道場が邪魔になるというので、いろいろと取り壊しの接取計画をしておりますが、この間、又大型輸送機が危なくつまずきまして、飛び立つ飛行機が飛び立ち損ひました。大した被害はありませんでした。それで宝塔様を壊すことも無しにお寺も壊さず、中で庵主さんがご祈念いたしておりましたが何事も別に無くて、飛行機だけの事故で終わりました。
もう二度ありました。三度あるかも知れませんが、これは本当に命がけでおらねばなりません。

「祈りが勝てば基地拡張は食い止められる」

今度の飛行機事故はどんな事になるか解かりませんが、最後どんなになりましても、日本国の平和を守る為に、そうして世界平和をいいますが、それは理屈ではいかないのであります。この世界の平和を守る上の大きい力になります。
砂川にしてもその通り。この敵を殺す戦争の力の下に、これを食い止める道を考えていきます。
平和の手段でこれを求めます。是非に人殺しをして、守ったり勝ったりして貰わなくてもよい。
世界のどの国とも、どこの人とも共に仲良く暮らすように祈っていきます。この祈りが勝てば飛行場の拡張も食い止められましょう。若しこの祈りが負けたとき、世界中も又日本もあの広島、長崎の悲惨な姿になってしまいます。

「この一念が世界を平和ならしめる」

小さいからといって侮れません。この一念は神様仏様の三世諸仏のお心に叶い、一切衆生の願いを代表しておるものでありますから、このご草庵が小さくても、此処でお太鼓を撃つ人が少なくても、この祈る一念が必ず世界平和の祈りを叶えて行くのであります。
日蓮大聖人様が佐渡の島で一間四面の荒れ堂で暮らされながら、然しやがて日本国一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的として矢を放つより確かだと信ぜられておりましたが、そのお志を私らも継ぎまして、印度に渡って印度の独立もほんの三、四名のお弟子と一緒に御祈念いたしましたが、不思議として印度の独立を助けました。
ここにこんな軍事基地や政府を前にし、アメリカを前にして、そうして最新式の武装をした軍隊を前に置いて、あなた方の仕事はやめなさい。こちらの方で世界平和日本の平和を守りましょうと声高らかにお祈りをいたします。これが叶えば日本国は安全であります。これは叶わせねばなりません。
人数が少なくても、それからお堂が小さくてもそんなことは問題ではありません。この一念が必ず世界の平和を作らねばならんと祈る、この一念が必ず世界をして平和ならしめて行きます。
南無妙法連華経

http://www.youtube.com/user/costarica0012#p/f/215/BWb30Y1vSn4 


台北 花市

台北 花市



立正安国論講讃

日蓮大聖人御降誕第七百年記念

「立正安国論講讃趣旨」―於大連王家屯
日蓮大聖人、我が大日本帝国にご降誕し給うてから、星霜漸く推移してまさに第七百年に征当する。受け難き人身をうけ、逢い難き仏法に逢い、持ち難き妙法を唱える、日蓮大聖人の御弟子、檀那とならん人々は、すべからく一乗の信心を決定して遥かに宿縁の深きを喜ぶとともに日蓮大聖人御降誕の意義を、信受し、光顕し、修行し、宣伝せねばならぬ。
七百年の乃往、大日本国東夷東条小湊の浦和の旃陀羅が家に、ご降誕ましませし父母生身の日蓮大聖人は、境を指せば閻浮提内、時を指せば末法悪世の、失神転倒の衆生済度の本願に牽かれて応現し給える、大慈大悲の止みがたき涙の雫である。
常無懈怠の汗の白玉である。凡そご一生の行相を承れば五濁の機根に応じ給える病行、嬰児行の御振る舞いである。もったいない次第である。法華経第二の巻の信解品には「希有にして無量無辺不可思議の大神通力まします。無漏無為にして諸法の王なり、能く下劣の為に斯の事を忍び給う、取相の凡夫に、宜に随って為に説き給う」と讃嘆してある。
七百年の乃往が、日蓮大聖人の始めではない。それから六十有一年のご生涯を経て六百四十年の乃往が日蓮大聖人の終わりではない。その始めをとえば、無量無辺百千万億阿僧祇劫の久遠の往昔で兜卒天上の弥勒菩薩も、その劫数歳時のきわまりなき長遠の程を譬うべき例も識らぬ、
その終わりを尋ぬれば、無量無辺百千万億阿僧祇劫の未来際を尽くして所成の寿命未だ尽きず、常にここに住して法を説く、天上天下その劫数歳時のきわまりなき長遠の程を譬うべき例を識らぬ。
大日本国にもご降誕し給えば月支国にもご降誕し給う、南閻浮提にもご降誕し給えば北倶廬州にもご降誕し給う、海辺に誕生し、山中に誕生し、金星に誕生し、彗星に誕生し、虚空に誕生し、大地に誕生し、病床に誕生し、火葬場に誕生し、畜生に誕生し、外道に誕生し、地獄に誕生し、キリストに誕生し、汝に誕生し、我に誕生し、口に誕生し、眼に誕生し、誕生に誕生し、臨終に誕生し、畢竟して誕生し給わざる所もない。畢竟して誕生し給わざる時もない。誕生し給わざる時にも誕生し給う。
諸のあらゆる三世古今、十方世界の中にも外にもただ一人誕生し、百千万億乃至無量無辺に誕生し、同時に誕生し、異時に誕生し給う。天地法界森羅万象ただしこの日蓮大聖人のご誕生に趣いて、微塵の法だにもこの趣にすぎない。ああ、大いなるかな、大自在を極めたる日蓮大聖人のご誕生、この如き円融無碍の境界をば法身不思議のご誕生という。このご誕生を認識し、このご誕生を照見する者は、見思、塵沙の通惑を断じ、界外無明の別惑を一分断したる、十住十地の聖位を証得せる仏道の聖人にかぎる。
ユダャのエホバや、日本国の国祖や、此の如き等の、天上界や高天ヶ原やに留まりて山河大地、草木瓦礫を創造し製作したる、欲界下劣の主君をもって自ら称し、嫉妬、愛憎の煩悩に到りては、それを忍伏し、断尽する教法のありと言う噂だにも知らぬ神とでは、白雲万里、覚束無い話である。
凡夫の考案したる顕微鏡や望遠鏡やにも映って来ぬ、まして肉眼で見る事が出来ぬのは無論である。見ないから信じない、信じないから解からない、それに強いてわからせようとする所から話せば矛盾を感じ、示せば怪しみを生ずる。難信難解と申すのはこの事である。優曇華の時あって乃し一たび出るが如く、もし宿善厚き人は、たといいかなる見濁増の澆薄(ぎょうはく)(人情のうすい)の世に生まれながらも日蓮大聖人のご降誕の法身難思の法門を聴いて、信受し歓喜し、賛嘆し供養する。
法身地のご降誕は如来秘密の所証である神通力の妙用である。衆生の機根の方からは分別して知る途はない。もし衆生の機根、次第に悪を捨てて善に還り、迷いを離れて悟りに至る者があれば、その修行せる善根力に相応してその心に信得しその心に認識せらるるように更に一段のご降誕の儀式を装い給う。これすなわち漢土、月支、一閻浮提の末代の一切衆生のために忝くも大日本国東海道安房国長狭郡小湊の浦和の日蓮大聖人のご降誕である。
日蓮大聖人のご降誕は、最勝無上の道徳善根、思想宗教がこの大日本国に実在するしるしである。
国土に威霊あって、日蓮大聖人の三大秘法建立の曼荼羅会となり、人間に機縁熟して日蓮大聖人の法華経色読の善知識となった。
富士の高嶺は日蓮大聖人のご降誕に相応したる準備である。蒙古の襲来は日蓮大聖人のご降誕を待たねば解決の道なき法門である。
もしも日蓮大聖人のご降誕を識らずに話も遠き浄土を勧むる宗旨があるならば、それは地獄に誘う手段である。日蓮大聖人のご降誕を識らずに仏性を見たという公案があるならば、それは天魔の允可(いんか)(許すこと)である。
日蓮大聖人のご降誕を識らずに国家を護る祈祷があるというならば、それは勢力が集まれる叛逆でも認めて諂いかねぬ邪法である。
日蓮大聖人のご降誕を識らずに社会がおだやかに道徳が行なわれるという学問があるならば、それは利口、追従、嘘八百の押し穴である。
日蓮大聖人のご降誕は当世日本国の中には議会召集よりさらに大事な問題である。遂には世界万国、人間、天上最大一の大事である。
かくの如き日蓮大聖人のご降誕は、釣瓶に落ちた天上の月影に過ぎぬ、指に染まった蒼溟海の泡沫である。天を仰がぬ者、海に入らぬ者には止むを得ぬ天上、大海の消息であり、影ではあるが天上の月をそのままに写しておるように七百年前の生身応現の、日蓮大聖人のご降誕の中に法身難思の神通、功徳が一として減りもせず、一として壊れもせずに全体婉然として収まっている。
生身の小湊のご降誕を離るれば、法身の法界のご降誕は全然衆生界に顕わるる途はない。
法身難思のご降誕によらずんば、かの小湊の浦のご降誕は、一匹の蛇が生まれたのや、一羽の鶏が生まれたのやと、その意義は相違はない。泥棒の誕生もキリストの誕生も、苦力の誕生もその功徳は大差がつかぬ。かくの如き見方では一切世間に光明のさすところを識るすべはない。
七百年の日蓮大聖人のご降誕が、すなわち法身不思議のご誕生の模様である。惜哉凡夫、飽くまで差別の妄情に封着せられて、生身と法身とのご誕生の円融無碍の相は信ずることすら出来ない。出来ない法門は差しずめ致し方がないとして、信ずることが出来、識ることが出来る、七百年前の生身の日蓮大聖人のご降誕の意義を誰が信受し、光顕し、修行し、宣伝すべきものか、大悲大慈と
と開けば、空虚なる言葉かと思い有難そうな概念かと思う、それは思う者の剛強暴慢の上から判じた僻見という者である。大悲大慈といえば精神修養の一標語かと思い、道徳規則の一方面かと思う、それは思う者の浅識短才の推測という者である。
大悲大慈といえば普天卒土の精霊である、無辺三際の核心である、仏心即是である。心をあらわした言葉というのではない。言葉に現れた心である。言葉に現れた手足である。日蓮大聖人のご降誕の意義である。
日蓮大聖人の皮肉骨髄である。立正安国論の諌暁である。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊の折伏である。一切諸宗無得道髄地獄の根源なりという公断である。キリスト国賊、智恵亡国、法政天魔、主上髄獄の判決である。
インド不穏の消息である。ドイツ壊倒の天命である。一天四海皆帰妙法の弘道である。
南無妙法連華経の撃大法鼓である。南無妙法連華経の万灯行列である。
日本山妙法寺の七百年御降誕会である。立正安国論の講讃である。
大小総別順逆向背、教え来たれば無量無辺の品が分かれても、これが要領を提ぐれば、日蓮大聖人のご降誕の四方八面である。
我いま立正安国論を講讃せんと欲するがための故に、日蓮大聖人はご降誕し給うて、あたかも第七百年に春秋まわり来たったのである。
我いま立正安国論を講讃せんと欲するがための故に、大日本帝国は、皇帝陛下重病に罹り、百官宰相破廉恥を犯すという不祥の瑞相が現れて来たのである。
我いま立正安国論を講讃せんと欲するがための故に、イギリス、アメリカ、世界万国乃至一閻浮提内の一切衆生、各その国を呪い、その隣を呪い、その身を呪って混沌として業火の焔を焚いている。イスラエルのキリスト教の遍満はこの災害の根源となり、ロシアのレーニンの赤化宣伝はこの災害の枝葉なり、癩児伴を牽いて、怨憎排斥の花と散らし、殺戮惨虐の菓を結ぶ、天魔の眷属はこれを迎え、鬼神の余党はこれを喜ぶ。
日蓮大聖人はご降誕し給える不思議の因縁ある大日本国の中にも、一人のこれを糾明し、呵責し、駈遣する方を識れる者がない。悪と言う悪はことごとく興り、道と言う道は斉しく隠れる。善神聖人天上に上がり、山に遁れ、邪神、悪人、市町に顕われ、廟堂に立つ。
盛んなるものは闘争ばかり、はやるものは疾疫ばかりで現世さながら修羅道の真ん中にかわった。かくの如き時を指して五濁悪世とも、法滅尽時とも名ずくる。大集経のいわゆる闘諍堅固、白法隠没の当相はすなわち現在の世界の為体(体たらく)である。国と言う国、家と言う家、人と言う人にそれに立つ道を示して、躓く処を扶け、日本の仏法を光顕し、世界の闇冥を除滅し、真実際の万国平和、君臣安楽の策を建てんがために立正安国論を講讃する。
 今上皇帝玉体安全、文武官僚徳政増益のために立正安国論を講讃する。
 日蓮大聖人の第七百年のご降誕をよろこばんがために立正安国論を講讃する。
 自ら転迷悔悟、即身成仏の大果報を求めて声も惜しまず南無妙法連華経と唱えんがために立正安国論を講讃する。
 衆生をして無上道に入り速やかに佛身を成就することを得せしめんとて南無妙法連華経と唱えしめんがために立国 論を講讃する。
南無妙法連華経
惟時大正第十龍集幸酉年陽歴二月十六日
亜細亜大陸南満州日本山妙法寺大講堂征当第七百年御降誕日蓮大聖人弟子
                        沙門 行勝 謹叙
                        (大正十年二月十六日)
  「立正安国論講讃趣旨」


台北 花市


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立正安国論講讃


      【立正安国論講讃案内】 大正十年二月十六日
 
立正安国論と申すは征当第七百年前にご誕生遊ばされました、日蓮大聖人の御論策であります。この立正安国論を讃題して今私が講演致します。是非とも参詣しなさい。是非とも聴聞しなさい。その上で信仰しなさい。それとも冷評しなさい。悪口、罵辱、好きなようにしなさい。順逆いずれにしても、御利益は受けねばなりません。暇がないから参詣が出来ぬというのですか。馬鹿な横着をつきなさるな。現に飯を食う暇があり、現に薬を呑む暇があり、ましてお役所に出たり工場に出たり、はなはだしきは風呂に入ったり、髪を撫でたりする暇があるではありませぬか。髪は一年や二年撫でなくても、飯は一日に一食づつくらいは食わなくとも、あなたも死なねば、日本国も亡びはしない。立正安国論は今度聴聞しなければあなたも滅び、日本国も亡ばねばならん。
飯は是非に食わねばならぬこと、参詣はせねばせぬでもよいことのように愚案しているのでしょう。このような軽重を転倒した邪見に欺かれて、あなたは涜職事件をやったのでしょう。嘘もつけば殺人もやったのでしょう。兵児帯往生を遂げるのでしょう。大和民族を辱むるのでしょう。こんな了簡を懐く者は腐った豚よりも下劣の人間である。
一人や二人が、こんな畜生のような官公吏員になった間は未だ始末がつくけれども、役人という役人、教員という教員、乃至一切世間の者が、みなことごとくこんな畜生になったらどうなるか。既にやった者もあり、今やっておる者もある、これからやって恥じを曝すべき者もある。恥じを曝す時間に前後の隔たりは出来ても、みな兵児帯往生を遂げねばならぬ了簡を誇張し、実行しておることは一揆である。暇のある者がまさに参詣し、聴聞すべき法門ではない。人間の皮を被った動物は、必ず信仰し、修行せねばならぬ法門である。死んだ者に回向する利益ではない、生きておる者を済度する利益である。斯様な軽重を転倒した邪見に欺かれて、日本国は滅亡せぬばならぬ。愚にもつかぬ経済論や、思想問題やのという精神病に、いま罹り、まさに罹らんとしている。
罹れば日本国家は瞬く間に滅ぶるということが幸いに憂国達識の者の眼に映って来たので、ぼつぼつびくびくし出した。しかし食うて世を渡る方より外に、何の習った覚えもない当世日本国の人間は、いやでも上も下もこの狂犬的精神病に罹らねば相済まぬ素質となっておる。思想問題と名ばかり飾ったけれども、根本は食いたいという欲望に、竪からでも横からでも穴をあけて無理に食うという邪見の枝葉をつけ、掠奪でも、惨殺でも、出鱈目な花火を散らすより外、何にもならぬ騒動である。大学は増設してもしなくても、議会は召集してもしなくても、それで必ずしも日本国は亡びるというわけではない。立正安国論をば聴聞し、信受せねば、必ずや日本国は亡びてしまう。現在大日本国の危険災害なる思想界の傾向にのぞみて、いわゆる立正安国論の所説の安国の意義力量の確実なる、広大なることに驚かねばならぬ、信じねばならぬであろう。
他日もしや日本国が滅亡した暁には、誰も始めて立正安国論の講讃に、随喜せず、参詣せず、聴聞しなかった厳罰であると思い知るであろう。それが痛ましいから、ここに大音声をあげて、立正安国論を講讃して、まずあなたにも、日本国にも、ご案内を致すのであります。

一、 講本 立正安国論
二、 講師 藤井行勝
三、 制期 大正十年二月十六日開講~大正十年三月一五日講了
四、 時間 正行―唱題修行―昼夜
     助行―正課 立正安国論 午前六時ヨリ八時迄
        助課 日蓮大聖人御遺文素読 午後一時ヨリ三時迄
五、 道場 大連市外王家屯 日本山妙法寺大講堂
      「立正安国論講讃趣旨」(大正十年二月十六日)所収


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プロフィール

gyousyuusan

Author:gyousyuusan
日本山妙法寺開山 無辺行菩薩 藤井日達大聖人様の御法話を中心として世界平和にかかわる事を発信して行きます。

大津行秀

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