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陳情書

        陳 情 書    仏教僧衆  藤 井 日 達

        惟時昭和二十一年八月六日
 我教主釈尊拘尸那域に於て入滅度の後およそ一百年にして中天竺摩訶駄国に阿育大王誕生し給う。大王躰軀麁剛にして精神もまたすこぶる猛烈なり。少年の日より戦闘征伐を好み、殺生残害を喜ぶ。国民にしていやしくも制を紊る者あれば、これを捕えて極刑に処し、近親隣里ながら諍を構えて直ちに征服し、その勢力日に強大となり、諸の大小の国王等敢て畏服せざる者無きに至りぬ。
大王これに於て悪心いよいよ熾にして、人民日夜安穏の想を生ずること能わず、遂に憍慢心増上して武威をもって一閻浮提を統一せんと欲する大願を発し、朝夕に兵を精にし、武を練りて寧日無し、たまたまこの時如来の遺弟子に夜叉尊者と称する大阿羅漢あり、阿育大王を教化せんがために独り王宮に詣り、大王を諫めて曰く。
 「仏法に不殺生戒を説く如来の制戒の中に、殺生をもって一切罪悪の中の最も重きものとなす。下は昆虫より中は六畜に及び、上は人類同胞の生命を絶つ者はその罪悪の報酬として死して未来世に地獄の火焔に焦がさるべし。大王しきりに戦闘を起こし、人畜の寿命を奪うことその数量り難し。大王他日命終の日まさに地獄に堕ちさせ給うべし。彼の戦闘によりて得るとろの勝利は、必ず他の国王人民の怨恨を買って刑罰をもって慴伏せしむれば民の不平を募らしむるに過ぎず。すべからく諸の悪法を廃し戦闘を止めて、一切の人民安楽にその生を楽しみ、隣邦平和に交を厚う也させ給わば、大王の将来はなはだ慶福来らん」と。
 阿育大王これを聞いて逆鱗斜ならず、この夜叉尊者を捕えてもっとも惨酷に処刑せんと欲し、試に問いて曰く。
 「汝地獄の火焔を説く、朕未だかつて斯の如き談話を聞かずはなはだ希有となす。朕がためにさらにくわしくこれを説け」と。
 夜叉尊者即ち八大地獄の相貌を説く中に曰く。「大火坑あり臭煙蒙々、火焔乱れ舞うが如し上に一条の鉄線を張る、罪人に重担を負わしめて駈りてこの鉄線を渉らしむ等云々」。
 大王掌を拍して曰く、「善哉これを説けり。朕この地獄を造りて罪人を呵責すべし。しかして汝をしてまずこの大火坑を渉らしめんと欲す」と。夜叉尊者大神通力を現して阿育大王のために説法教化す。
 大王翻然として邪見を転じ、たちまち戦争を廃棄し慈悲心を生じ、殺生を禁断し、飲酒噉肉を止め、大王膳にもなお腥肉を却け、慎んで如来の制戒奉持し、その皇子皇族を仏法の中に出家剃髪せしめ、海を渡ってセイロン、ビルマ等に派遣して、仏法を伝道せしめ、法門の棟梁を選抜して大法官と称し、遠く小アジア、ヨーロッパに仏法の福音を宣伝せしめ、これによって平和の国交を修せしめたり。
阿育大王の仏教復興はその統治下にある全民衆の欣ぶところとなり、一大王国渾然として一体となりてインド民族文化の開発となせり。仏教経典の結集を行い、寺を建て僧を度す、その数挙げて数うべからず。特に釈迦牟尼仏の遺蹟四大霊場を始めとして、各地に自ら巡礼し、石の宝塔を建てて、如来の功徳を宣揚せり。その建つるところの石塔八万四千の数に達すると伝えたり。漢土、日本にも阿育大塔と称する者二三あり。その真偽は不明なれども大王の功徳を推するの一端として、また見るべきものあり。
 爾来星霜移ること約二千八百、あるいは二千四百を経て、荒廃せる物鮮からずといえども、今日なおインド各地に阿育大塔と称する物厳然として存在し、阿育王文字の彫刻鮮明に残れる物若干あり。インドの仏蹟巡礼の客として、石塔の下底廻転た禁ぜず。往古を徜わしむる唯一の記念となれり。
 阿育王の仏教文明は、インド民族五千年の歴史上空前絶後と称せらるる発達を遂げたり。阿育大王の功績は仏教の流通とともに、日に新たに宣伝せられ、万国歴史上もっとも多くの人によりて、敬仰親愛せらるること、如何なる時代の如何なる帝王英雄よりも勝れさせ給うべし。
 善悪は本と二物に非らず。人の一念心の左右のみ、人の一念がもし善の指導を被らばその人善人にして、善行をなすに至るべし。世に悪業を造作する者あれども、これを訓うるに善をもってすれば、また善人となすことを得べし。邪正はまた一体の表裏のみ。表相の邪見も裏面の正見を離れず、正見一度表面に出れば、その人また邪見を発せず。阿育大王は正しくこの現証の人なるべし。
 日本国人王第一代を神武天皇と号す。天皇生まれながらにして明達意かたく強くまします。御年四十五歳に及びて諸兄及び御子等を集めて曰く、東に美しき国あり、青山四方に囲れり、彼の地は必当に天業を恢め弘べて天の下にみちたる足りぬべし、何ぞ就きて都作らざらむと天皇みずから諸皇子舟師を帥いて東を征ちたもう。しかして六年にして大和国畝傍山の東南橿原の地に皇都をひらき帝宅を経め初め給う。その時に令を下して曰く、
「六合を兼ねて以て都を開き八紘を掩うて宇と為むこと亦可からずや」
 この意は帝都を開いて全国の文華を嵩むべし、帝都は単に帝王の帝都たるのみに止まらず、すべからく全国内の帝都たらしむべし、帝宅は天皇の邸宅たるのみに非ず、億兆臣民の邸宅たらしむべし。今時運屯蒙につらない、民心素朴なり。あるいは巣に棲み、あるいは穴に住むをもって平常一般の習慣風俗をなせり。まさに山林を披き払いて宮至を経営し、人民の生活状態を改善せんがために率先して規準を示すべしとなり。故にまた曰く「夫大人の制を立つ義必ず時に隨う。いやしくも民に利あらば何の聖の造作に妨わん」と。まさに知るべし皇都をひらき大壮を作らせ給うの意は素朴に順れたる民心を導きて人民生活を有利にし、豊富にし、快楽ならしめんがためなり。これを民に利有りという。
 皇都成り帝室成りて翌年春正月橿原宮に帝位につき給う。この歳を天皇元年と為す。これより二千六百年を迎え、神武天皇発祥の地宮崎なる古代の帝都付近の地を相し一大記念塔建つ、題して「八紘の基柱」と称す。時運偶々日本の戦時下にあり、日本国内に於ては教育宗教あわせながら軍事に動員せられ、農工商業みな軍事に利用せられざるは無し、八紘基柱もまた軍事に利用せられて日本の戦争的発展の表徴とせらる。これ神武天皇の詔勅を誤る大なる者なり。
 誠にみよ神武天皇の皇都経営より二千六百年内には国民と皇室との戦争殆んど有ること無し。近隣諸国との兵を交うるが如きことは僅かに一両度に過ぎず、万国史上比類なき平和国家の基柱と肇められたること実に神武天皇肇国の詔勅に渕源する所以なり。しかるに明治維新已来隣邦と兵火を相見ること指を屈する遑あらず、けだし皇祖国を肇むるのに心背ける所以か。戦争後幸いにして八紘基柱の意義を訂正してこの軍事的色彩を剥脱せしめ、これを神武天皇詔勅本然の平和の象徴として将来民心の転換を計らんと欲する情切なり。
 神武天皇よりおよそ一千三百年にして推古天皇帝位につき給う。日本の天皇として最初の女帝なり。もっとも深く平和を愛し給う。天皇即位十二年十七条憲法を作って天下式目たらしめ給う。その第一条に曰く、
 「一に曰く、和を以て貴しと為し忤うこと無き宗と為す。人皆党有り亦達者少し、是を以て或は君父に順わずしてまた隣里に違えり。然れども上和き下睦いて事を論うるに諧いぬる時は則事理自ら通う何事か成らざらん」と。
 日本の皇室に於て、一千三百年已前に制定せられたる十七ヶ条の憲法のその第一条は実に和を貴み忤うこと無きを宗と為すと宣べり、この憲法出でてのち奈良朝平安朝に亘るおよそ四百年間は一人の死刑囚を出さざりし太平の御代にして、日本文化最高峰を称せらるる歌集歴史物語等世に現れたり。この間近隣諸国との往来交通は盛んなりしかども相互に相侵することなかりき。憲法第二条は平和建設の指導機関として仏教興隆の詔勅を徹底せしめんがために、
 「篤く三宝を敬うべし、三宝とは仏法僧なり。則四生の終帰万国の極宗なり、何の世何の人が是法を貴ばざる。人尤だ悪しきもの鮮し能く教うるをもて従いぬ、其三宝に帰りまつらずば何を以てか枉れるを直さむ」と宣べり。
 一国の平和は但だ法令の制定のみにしては到底実現さるるものに非ず、すべからく一国人民の心中に平和の気分育成の方法を講ぜざるべからず。これ即ち宗教的工作の重要なる所以なり。推古天皇は即位早々に「興隆三宝」の詔勅を発し、日本国に於て一千三百年来未曾有の新宗教採用に国論を定め給えり。果せるかな十七条憲法の平和の国定は「興隆三宝」の詔勅と相表裏して日本国二千六百年間に画期的太平安穏の歴史を作れり。
 しかるに中古武家政治の台頭するや平和の憲法は破棄せられて暴力はこれに代わり、仏教の興隆は廃止せられて刀槍甲冑に熟練し、戦国時代を経て遂に封建制度となり、日本国の上下を挙げて武士の支配下に置かるるに至れり。この間武士道学と称する一種諂曲の邪見を論説し、武士を礼賛し武家政治を強化せり。
 明治維新の革新はこの封建制度の武家政治の廃棄するに成功したけれども、武士道学は隠然として漸く日本の軍部を煽動して、遂に国を挙げて戦争に狂奔せしむるに至れり。明治維新の革新に於て皇室と仏教とを隔離し、政治軍隊教育の各種機関より完全に仏教を駆逐し、かえって武士道をもって国民の精神教育にあてんとせしこと曠古の失政なり。
 現下日本の国民は心に平和の仏教を失いて呆然として自ら嚮うところを識らざるが如し。人の心は善に赴かざれば則ち悪に動く、斯の如くして推移すること若干年ならんに国運の前途甚だ暗澹たるものあり。今にして終戦の詔勅を奉行せしむべき精神的宗教工作を施さずんば、まさに収拾すべからざる人心の荒廃を来し延て社会の禍乱を生じなん。故に神武天皇皇都経営の詔勅の本旨を再検討し、推古天皇の平和尊崇の十七条憲法に格準せしめ、今上天皇終戦の詔勅を貫徹せしめんがために、仏教僧衆日達深く釈迦牟尼仏陀の経文を探りて、彼の「八紘の基柱」をしてその意義を転じて仏舎利塔と為し、如来法身平和の教法を尊敬して、内にしてはこれをもって日本国絶対平和の国是額立の標示と為し、外にしては彼の万国の人をして礼拝偈仰の対象と為さんと願ず。
 妙法蓮華経序品第一に曰く
「文殊師利 又菩薩の 仏滅度の後 舎利を供養する有り 又仏子の諸の塔廟を造ること 無数恒沙にして国界を厳飾し 宝塔高妙にして五千由旬 縦広正等にして二千由旬 一々の塔廟に各千の幢幡あり 珠を以て交露せる幔有て 宝鈴和鳴せり 諸の天竜神 人及び非人 香華妓楽を常に以て供養せるを見る 文殊師利 諸の仏子等 舎利を供せんがために 塔廟の厳飾して 国界自然に殊特妙好なること 天の樹王のその華開敷せるが如し」

 謹んで経文と案ずるに、如来滅度の後仏舎利を供養せんがために無数恒沙の塔廟を造り、香華妓楽をもって常に供養すべしと、即ち宝塔の建立は衆生世間には質直にして意柔軟に香華妓楽を娯しむ優美の生活を与え、国土世間には国界を厳飾して平和の気分を養い、春夏秋冬を凋落することなき天の樹王のその華地上に開敷せしめたるが如しとなり。昔聖徳太子十七条憲法の首項に平和無忤の国是を提唱し給うや、これと表裏して仏舎利塔建立のため遠く三韓より職工博士を招き工事に当たらしめ給えり。この外法華経の中に塔廟を起てて舎利を供養するの功徳を説き給えること、その文繁多なり今総てこれを省略す。
 灘速の四天王寺、大和の法隆寺の五重塔の如きは即ちその遺蹟なり。これらの仏舎利塔は一千三百年間代は幾変遷すれどもその間不断に日本民族を教えて質直にして意柔順ならしめ、日本国土荘りて平和の風景を添えしこと、その数挙げていうべからず。また今日本は平和の国家として更新せんとするに望み、仏舎利塔の建立は必須の要求なるべし。仏舎利塔建立に先立って従前各種の意義に由て建立されたる塔廟を開顕して仏舎利塔に転変せしむれば、これ則ち祖先の功労を将来の平和建設の礎石として有効ならしむことを得べきなり。
 去る昭和五年の頃よりインド各地に遊び、昭和十三年支那事変の平和的解決の方を心中に秘して日本に帰り、戦争最中の支那各地、満州北支中支南支に巡錫して仏舎利塔建立の議を提唱せり。これに応じて満州新京には張国務総理を会長とせる仏舎利塔奉讃会起り宝塔建立に着手す。続いて昭和十九年南京市紫金山麓革命烈士記念塔の頂上に仏舎利を奉安す。当時の楮民禰外交部長がこの発起人なり。その翌年昭和二十年春四月二十八日北支政務委員長王揖唐居士の発願に由て北京西郊外に聳てる乾隆皇帝の勅建に係る玉泉山の七層樓の頂上にもまた仏舎利奉安の式を挙げたり。内蒙の王爺廟成吉汗廟にも同年五月また仏舎利を奉安せり。
 この外香港、台湾、広東、上海、漢口等に已に仏舎利奉安の式を挙げたるもあり、まさに挙げんとして終戦に会えるもあり。これを要するに、東亜の平和は仏舎利塔建立荘厳の一事に由て恩讐の苦海を越えて親善の彼岸に到達することと得べき旨、多年兵火戦塵の間に於て彼我の民族を通じて漸く証明されんとす。
今「八紘の基柱」をして転じて仏舎利塔を為すことを得ば啻にこれを建立せし懸下人民の苦労を空しく水泡に帰することを免れしむるのみならず、日本国民に平和第一の方針を示し、近隣仏教国民族をして日本に仏教復興の機会到来せるを喜ばしむべく、後代永らく大平の基礎を祝福して香華妓楽をもって塔を供養すべし。誰の有智のものかこの仏事を隨喜し奉讃せざらん。
 過去を省み将来を慮って現下国運の一大転機に際し平和の基礎を額立せんがために陳情することを件の如し。

<編集部注>

 この陳情書は宮崎市内に建つ「八紘の基柱」を開迹して仏舎利にすべくG.H.Q.その他行政機関に提出したものです。この運動は実現しませんでしたが、戦争中威張っていた神道論者が青葉に塩の如く竦んでいる時に、敢えて「八紘一宇」の真の意味を仏教徒の立場から説かれている、誠に小気味よい小文です。短い文章ですが大思想を揚げられる藤井尊師の見識の高きをしる材料となりましょう。尚、この基柱の設計者である日名子実三先生は日本山の信者であって、終戦前の四月に世を去られましたが、生前にこの八紘の基柱に仏舎利を奉安することを尊師猊下に願望されていました。そのことは遂に実現しませんでしたが、八紘の基柱は「平和の塔」と名を変えて今日も宮崎市の名所となっています。日本山の仏舎利塔建立誓願は戦争中からのものですが、これの実現は昭和二十九年四月の熊本市花岡山をもって最初の仏事となりました。


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