宗教の真面目
宗教の真面目
非暴力も平和も、元来政治や経済や軍備に由って養成されるものではありません。それは
純精神的な修養訓練に由らねばなりません。精神的修養訓練は、古来宗教者の修行でありました。
然るにややもすれば宗教者達は、各自の宗派的形式や教義の研究宣伝等に没頭して、国家にも
世界にも平和や非暴力の社会を建設すべき責任感が薄くなる傾向が有ります。
宗教的相違の如きは、形式も教義も、宗教の真面目ではありません。
宗教本来の面目は、第一が不殺生、第二が不偸盗、第三第四第五等であります。
不殺生戒・不偸盗戒の宣伝に合同する事が出来ない宗教は無いでしょう。之をで現代的に活用
すれば、不殺生戒は戦争全廃、不偸盗戒は搾取反対の行動となります。
不殺生・の禁戒は、宗教者各個人・各宗派の問題に止まらずして、直ちに世界平和・人類
繁栄の基礎となります。宗教は権威を以って戦争を否定し、搾取を禁止します。
現代社会は妄りに権益を得んが為に、戦争殺人を肯定し、搾取偸盗を合法化します。是が
現代社会の救い難き苦悩となっています。
世界の宗教者は、現代文明のこの大患を救わんが為に、協力一致して宗教の真面目を発揮
せねばなりません。
非暴力も平和も、元来政治や経済や軍備に由って養成されるものではありません。それは
純精神的な修養訓練に由らねばなりません。精神的修養訓練は、古来宗教者の修行でありました。
然るにややもすれば宗教者達は、各自の宗派的形式や教義の研究宣伝等に没頭して、国家にも
世界にも平和や非暴力の社会を建設すべき責任感が薄くなる傾向が有ります。
宗教的相違の如きは、形式も教義も、宗教の真面目ではありません。
宗教本来の面目は、第一が不殺生、第二が不偸盗、第三第四第五等であります。
不殺生戒・不偸盗戒の宣伝に合同する事が出来ない宗教は無いでしょう。之をで現代的に活用
すれば、不殺生戒は戦争全廃、不偸盗戒は搾取反対の行動となります。
不殺生・の禁戒は、宗教者各個人・各宗派の問題に止まらずして、直ちに世界平和・人類
繁栄の基礎となります。宗教は権威を以って戦争を否定し、搾取を禁止します。
現代社会は妄りに権益を得んが為に、戦争殺人を肯定し、搾取偸盗を合法化します。是が
現代社会の救い難き苦悩となっています。
世界の宗教者は、現代文明のこの大患を救わんが為に、協力一致して宗教の真面目を発揮
せねばなりません。
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真実の宗教
【トインビー教授への書翰】 1975年3月 (2)
近代人の総てが経済的発展を至上目的とするに至った原因は、小中大学に於ける科学教育の犯したる罪悪であります。
現代の痛恨事は国家社会が宗教拒絶状態に在ることであります。宗教は偉人列伝史ではありません。宗教とは人生苦患の究明であります、人生苦患の救済であります。
現代に若し真実の宗教を求めんと欲するならば、先ず核兵器を排除すべきであり、一切の暴力戦争行為に反対することであり、経済至上主義を放棄する事であります。
殺人の傍に宗教は有りません。貪欲の中には宗教は座を持ちません。殺人と貪欲の中にある宗教は似せ物であります。黄金の蓄積と兵器の開発とは正しく現代人類の遠離することが即ち現代人の宗教であります。現代人の苦患はただそれだけで総て解脱します。
ーーーーーーーーーー------------ー中略ーーーーーーーーーーー
非暴力を現代の宗教と呼びます、是が仏教の忍辱の修行であります。
近代人の総てが経済的発展を至上目的とするに至った原因は、小中大学に於ける科学教育の犯したる罪悪であります。
現代の痛恨事は国家社会が宗教拒絶状態に在ることであります。宗教は偉人列伝史ではありません。宗教とは人生苦患の究明であります、人生苦患の救済であります。
現代に若し真実の宗教を求めんと欲するならば、先ず核兵器を排除すべきであり、一切の暴力戦争行為に反対することであり、経済至上主義を放棄する事であります。
殺人の傍に宗教は有りません。貪欲の中には宗教は座を持ちません。殺人と貪欲の中にある宗教は似せ物であります。黄金の蓄積と兵器の開発とは正しく現代人類の遠離することが即ち現代人の宗教であります。現代人の苦患はただそれだけで総て解脱します。
ーーーーーーーーーー------------ー中略ーーーーーーーーーーー
非暴力を現代の宗教と呼びます、是が仏教の忍辱の修行であります。